Nicotto Town


ハトははのニコタ日記


日本で「お節介な注意放送」が流れる根本理由続き


「音」問題を考えるに当たって、このあたりが1つのポイントです。日本人は、赤の他人に「話しかけたくも、話しかけられたくもない」という欲望がきわめて強い。よって、よく欧米人や欧米崇拝の同胞が「日本では、重い荷物を持っていても誰も助けてくれない」と愚痴を言いますが、これも「なるべく赤の他人に介入したくない、お節介はしたくない、かえって迷惑かもしれない」という考えの反映であり、自分が重い荷物を持っている場合でも、「赤の他人に助けられると心苦しく、すまない気持ちで心は荷物より重くなるから、赤の他人には頼みたくない」、という高度の文化的国民の判断ではないかと考えます(が、会員にはなかなか賛同者がいない)。

こうして、欧米崇拝型知識人の論点は「すべて」論破できると確信していますが、だからといって私がそれに賛同しているわけではない。私は、それにもかかわらず、こうした、テープ音による注意、勧告、挨拶、感謝の言葉は、やはり大嫌いであり、大反対なのです。このあたり、さらに詳細に語らねばなりませんが、次回以降にとっておきましょう。

これで、少なくとも「音」がいわゆるデシベルの問題ではないこと、むしろ人間のコミュニケ―ションのあり方の問題であることが、おわかりいただけたと思います。

誰かのコメントに、欧米では電車内の携帯電話の禁止規則はないのに、わが国ではある、というものがありましたが、これも説明できます。わが同胞は、公共空間における他人に対して、きわめて不寛容であり、その分「お上」に対して寛容だからです。

電車内でのお喋りはOKなのに携帯電話はなぜNG?

携帯電話が普及しはじめた20年前ころ、新聞紙上でもさんざん議論されていましたが、「人前で、個人的話をしなくてもいい、恥を知れ」という意見が多かった。しかし、それより数段大きな「携帯電話は他のお客様の迷惑になりますから・・・・・・」という車内放送には全然文句を言わない(私はこの放送のほうが嫌なのですが)。

携帯電話の問題はコミュニケーション的にたいへん興味深く、「話す」という自然のあり方を逸脱すると、われわれには「うるさく」感じられる。携帯電話はうるさい、しかし、それと同じ音量で会話している2人の声はうるさくない。こちらは「自然」だからです。このことは、小さい声でも「独り言」がとても「うるさく」思われることからもわかりましょう。

というわけで、この30年間、孤軍奮闘、身体がもたなくなるまで考えてきたことを「みなさん」と議論できる絶好の機会が与えられて、大感激です。これからもよろしく。      





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