稲村の変(プチ小説に和歌を詠んでみた)
- カテゴリ:小説/詩
- 2017/09/23 22:22:04
安房里見家当主義豊は、叔父である実堯の不穏な動きを察知していた。
「もしものときは、仇敵北条の手を借りてでも義豊派を打ち倒せ」
実堯にしてみれば、それが実堯派国人領主連合の本意であり、里見家二大派閥の避けられない定めであった。
七月二七日の夜義豊は、実堯と通綱を稲村城に呼びつけて、誅殺したのであった。その後、義豊は直ちに金谷城の義堯を攻撃したが、義堯は正木時茂(大膳亮)・時忠兄弟とともに百首城(造海城)に真里谷信隆を頼って籠城して盟友となった北条氏綱に援助を求めた。八月に里見(義豊)水軍と北条為昌が派遣した北条水軍が、妙本寺の戦いにおいて激突し義堯側が勝利した。
『夕暮れの 霞こめたる 保田みなと 時々わたり 鳴くもかなしや』
その後、北条軍の援助を受け勢いに乗った義堯は、さらに反撃を加え、九月には安房国の滝田城が陥落した。