Nicotto Town


ごま塩ニシン


脳活日誌852号

   今月の読書会。
 『川端康成文学賞全作品』第一部(新潮社)から好きな作品を読んでくるのが今月の読書課題である。第一回の受賞作は上林暁『ブロンズの首』(1974年受賞)になっているので、この作品から受けた感想を書いておく。自分の顔をブロンズ像として保存することについて私ははっきり言って趣味ではない。生きた痕跡を残しておきたくはないからである。自虐的かもしれないが、生きている自分に像まで残すほどの執着はないからである。

 作者は脳溢血で倒れて、病室でブロンズの首を枕元に飾っている。この像に作者が元気だったころに被っていたハンチングを被せている。死んだら、ブロンズを生まれ故郷へ送ってくれと家人に遺言している。この像を製作したのは新製作協会の会員であった久保孝雄氏であったが、すでに故人になっている。ということは、ただのブロンズではない。芸術家の作品であるということである。このようなブロンズであれば、価値のある作品である。美術展にも出展できる。

 私小説の世界はこうした独特の領域を描き出すところに作品の味わいがあるのかもしれない。市井の人間の首を興味本位で素人が素材をこねくり回して仕上げるのとは次元が違ってくる。芸術作品として社会的に認められ、展覧会に出してもいいものであるから、この作品の世界があるのかもしれない。私はこう感じた。何か、因縁いわれがなければならない。この意味で『ブロンズの首』という短編はブロンズに纏わる来歴を上手に纏めていると思った。現代ならば、写真を見て、3Dプリンターで像を簡単に製作することができるだろうが、芸術にはならない。

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2017/07/04 20:37
ごま塩ニシンさん、こんばんは。

芸術作品には、作者の個性が強く現れますよね。
この個性がなかったら、工業製品。
以前、「100人中、99人が見向きもしなくても、1人が認めればそれは芸術作品になり得る。」ってコメントを見たことがありますけれど、どうなんでしょう?
そのコメントには「工業製品は、100人全てが有用性を認める。」ってありました。

ただ1人だけが認めたとしたら、その人は時代の先見性があったということ?

工業製品、美術工芸品、芸術作品。
考え出すとわからなくなってきます。

明日の朝には台風、太平洋に抜けるみたいですけれど、これから明日の明け方まで、どうかお気をつけて。



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