葛藤がぶつかりあっています
- カテゴリ:日記
- 2017/06/30 00:12:20
上司の質問に「知りません」と言えませんでした。
それが何?
って事なんですけど。
〇〇さんが「秘密にしておいて」と、言われていた事を
話してしまった。
<上司を助ける>という信念。
それを優先した。
ひどいな。
ひどいのか
またルキフグス。
世界を拒絶し、自分さえも。
そいつと歩く。
結果として上司を助けた。
でも。
自分の中の何かは壊れた。
だから、笑いながら話した。
苦笑いだった。
「ははは」
「行くって言ってましたよ」
話した内容はそれだけだ。
意思表示。
〇〇さんはそれをしていなかった。
だからボクに上司は聞いていた。
同じ転勤する者として。
転勤するって言ってました。
そう伝えた。
いずれバレる事ではある。
なのにボクはそれを裏切りと解釈。
そして自己嫌悪
世界を拒絶するほどに
自分さえも
サタンとルキフグス
いや。
何だろうな。
さっきからずっとルキフグスが見えている。
一緒に歩こうと。
囁いてくれている。
今、使用するツール(ボクはそう呼んでいる。因果をクリーニングするための道具の事を)
ホワイトレイン
白い光の雨よ。
どうかボクの魂を
洗い流してください。
一欠けらの救いも無いボクを
助けてください。
いや、助かっている。
身体は熱い。
今。
うちの会社は
大きく舵を切ろうとしている。
生き残るための1歩を踏み出そうとしている。
その選択は正しいのか。
悪いのか。
実はわからない。
〇〇さんに
「人生でどんな事が起きても・・・運は必ず巡ってくる」
そう伝えた。
〇〇さんは転勤を悪い事と
とらえたようだ。
それでも行くと。
〇〇さんは決断した。
その事を上司には言いたくなかったらしい。
言ってしまうと〇〇さんの中で葛藤が怒りが。
爆発してしまうのかもしれない。
これはただの推測。
邪推だな。
うん。
客観化。
またこれです。
このブログにはそういう意味ではとても助けてもらっている。
感謝している。
感謝しています。
人生。
どうなるかわからない。
ボクが転勤する事を伝えると・・・
利用者さんの中で
「ボクと一緒に」同じ場所へ
と、言ってくれる利用者様がいた。
「あんたに会えるのは嬉しい。あんたがいてくれて嬉しい」
そう言ってもらえるのは
ボクのどうしてもしたい事が関係している。
「存在を認める」という事だ。
どうしてもボクは存在を認めてあげたい。
「あなたは存在しているだけでいい。あなたが存在している事が尊い」
そういうメッセージを伝え続けたい。
ボクがしている事を少しまとめたい。
下の名前を呼ぶ。
誕生日を覚える。
本当の誕生日にまつわる話を知る。
その人の資格、成し遂げた仕事を知る。
あとどんな時でもできる声かけとして
「〇〇さん、これをしませんか?」
それが好きならやってくれるし
やってくれなくてもいい。
そう、断ってもいいのだ。
利用者さんは当然、断ってくる。
10回声をかけたら10回とも断られる事もある。
それでも
その行為がうれしいのだ。
「ああ、この子は気にかけてくれとるな」
わしの事
私の事
認めてくれてるなぁ
存在を認めるというのは
技術と呼べば高度なテクニックだろう。
心の底から訴えないと・・・相手は決して振り向いてくれない。
それは認知症の利用者様が教えてくれた。
心の底から「あなたという存在に出逢えてうれしい」
そう伝える。
それは機嫌を取る事じゃないんだ。
機嫌を取っても・・・相手はますます不機嫌になるw
歌が好きな人には
歌を与えればいい。
その人が家で家族から精神的に疎外されていても
大昔、親に虐待されている事で不機嫌になっていても
機嫌を取ったり、世間の常識を分からせようとしてもダメなのだ。
相手は余計に反発する。
自分の存在をアピールするために。
「私はここにいる」
10割と言ってもいい。
100%
そういう本音を叫び続けている。
内容はそれぞれ違っても
叫び続けている内容は一緒なのだ。
「ここにいてもいいですか?」
「いいですよ」
そう認知してあげる事。
それには言葉がいらない事もあるし
ちゃんと言葉で伝える必要もある。
そしてボクはそれが本体の力であって
ボクという脳の仕事では無いと知っている。
見えない力のおかげであって
脳の仕事では無い。
ボクが悪魔を毎日見続けている事がその証拠のような気がする。
極めて悪人なのだ。
一欠けらの救いも無い。
まだ世の犯罪者の方が素直にすら見える。
ボクほどの悪人はいない。
それでも救われたい。
今はルキフグスと一緒に歩いている。
ルキフグスはスーツを脱ぎ捨て
ウリエル様が姿を現す。
そう。
悪魔。闇だと思っていたら
光だった。
人間がいちばん怖がっているモノは
光なのだ。
光に照らされて
自分の闇を見つけてしまうのが
実はいちばん怖いのだ。
仏教で
三途の黒闇(さんずのこくあん)という言葉がある。
それはいちばん明るい光に照らされる時
初めて知る
自分のカルマ
業の深さなのだ。
だからと言って罪深いからと言って
殺していいのか?
違う。
どうして人間を殺してはいけないのか。
人間だけが因果を繰り返す。
殺した者は来世殺される。
それも同じ場所を刺されて
寸分の狂い無く。
実体験としてそれがある。
ボクの魂に刻まれたメッセージの1つ
「もう殺すのも・・・殺されるのも嫌だ」
なのにボクは戦いのゲームをやめれないし
イメージの中で何度も人を殺してしまっている。
全く持って救いが無い。
最後の神様しか
ボクを救ってくれる存在は無い。
本体であり
王の中の王
宇宙の根源
決して消えないもの
あなたもボクも
そういう宇宙の根源
無限大と言える
エネルギーとつながっている。
それは内からあふれでるエネルギー
内なるまことの神
あい
そうですね。お金が無くて、凍死という選択肢しか選べなかった18世紀の子どもたち。
自分の前世は奇跡的に助かっていましたけど。
その違いはよくわかりません。
お金が無くても・・・助かる人は助かり、流れに乗って、生きます。
そこで終わってしまう人もいます。
奇跡って何でしょう?
お金以前に・・・権力争いで死んだ前世もありました。それも赤子の時に。
それを思うとよくわからないな。と思います。
世界にはすでにお金の心配をしなくても暮らせていける国が存在します。
たった3万人程度の国らしいですけど、最低年収が1000万。
すごい国です。
それも君主制。国民投票によって政治がひどいと辞めさせる事ができる国だそうです。
1人の王が治める国。
そして少し変わった政治制度。
そんな国でお金の心配をしない世界が最初に実現しました。
教育の違い。教育って何だったのでしょう。
どうして「創造」の正しい意味を知らずに生きて来てしまったのでしょう。
と、自分に最近問いかけています。
お読みくださってありがとうございます。
無条件の居場所があったら、最高に幸せだと思います
でも、お金がないと居場所も無くなるのが現実、今はまだ。