絵画のお話
- カテゴリ:日記
- 2017/05/28 02:28:44
シュールレアリズムの話ではありませんが。
ハンス.H.ホーフシュテッター
http://saiki.cocolog-nifty.com/shoka/2010/08/h-1db3.html
「世紀末芸術」と言うカテゴリ分けなんだそうですが、この木口木版と思われる精巧な絵の素晴らしさと共に小学生の頃に出会ってかなり強い衝撃を受けたモノです。
小さい頃は怪談話や不思議なお話は好きなモノですが、この絵一枚の内容は、はるかに恐ろしいものです。実は当時「ゲゲゲの鬼太郎」がリアルタイムで貸本屋に並べられていた頃を生きています。貸本業も終末を迎えた時期に、貸して居た本を売りに出したのです、そこで兄が買って来たマンガ本の中に「鬼太郎」の初版本が有ったのです、この絵はその本の裏表紙に使われていたものです、これに加えてエッシャーのシュールな絵をアレンジした絵も一緒でした、小さい頃にシュールな絵画と出会ったのは或る意味、幸せです。成人した後にM.Cエッシャーの図録と出会った時は感動しました。
しかし、鬼太郎のマンガ本の内容は祖母にたいそう嫌われ「子供が見るもんじゃない!縁起でもない!」とゴミ箱に捨てられました、そのつど末っ子の私は隠れてゴミ箱から回収して隠し持っていました(それも何度も見つかっては捨てられ・・の繰り返し)ついに最後はこの裏表紙だけ切り裂いてノートにはさんで隠し持っていたのです、今でも持って居るはずが「大事にしすぎて」どこにしまったか、わからなくなっています(笑)
余談ですが、昔のある作曲家が創作に悩んでいる時に見た夢のエピソードを思い出します。夢の中で自分のヴァイオリンを悪魔が出て来て弾きはじめるのですが、それが何とも素晴らしい曲で「はっ」と気がついて起き上がり採譜したそうです。「悪魔のトリル」と言う曲で有名です。
ヒロエニムス・ボスもダリもキリコ、マグリットも難解ですが惹かれるモノありますね〜でも現代ではシュールな感覚もすでに日常的な概念が出来上がっていて普通に受け入れられている時代(絵画も文学も映画や各種メディアも)なので、難しいですよね。
自分の心を自分で上手くごまかすって事も信じていれば許す事にしています。
なんせ人の心は多面体で出来てるから自分で都合の悪い時は別な方向からアプローチして上手く行けば良いって事にしています。
体調のいい時はそんなのも上手く行きますが、一回バランス壊したら元に戻すまで慎重になりますね。
めのめのさんなら、たぶん上手く行くと思いますよ、力まずにテレテレ〜〜ってやっちゃってください。
気味が悪い、気持ち悪い、汚い…でも、人は善と悪、生と死、美と醜、どちらも兼ね備え、そんな社会の中で生きているわけなので、目を背けても誰の心の内にもあるんですよね。
だから共感できる。だから魅力を感じる。
今量産されている表面の形、概念だけを真似ただけの軽いものは時代と共に消えていくはず。
社会と人に対しての深い思いがあって表現された作品は本物で、時代が変わっても人の心を打つはず。
「はず」…現場を離れて長くなり…近頃自信ないです。
のんびりさんを紹介いただいたたまちゃん、ありがとう、良い展開ですね。
なにしろ、水木しげるの背景は「つげ義春」と言う人の仕事でありまして、十代になってつげさんのマンガにもハマっていた時期も有りました。
のんびりさんの言う通り、作家一人の生き方も興味深いですが、作品一個ごとの印象を語っても日が暮れそうで面白いですね。
これやってたら、創作している人は時間が無くなってしまうのでソコソコにしないとイカン訳です。
私のマイペに来て頂いてる方から…是非、取り上げて欲しいと言われましたが
私には難し過ぎて…何に焦点を合わせればいいのか…戸惑っています~
後、オスカー・ワイルドの『サロメ』の挿絵を描いた、オーブリ―・ビアズリーも
取り上げて欲しいと言われましたが…これも難解です!(ー_ー)!!
確かにこの時期の、死の影の濃い版画と・・・・
水木しげるのあの幽玄とでもいうべき引き込まれる精緻な画とは相通じる魅力がある、と私も思います。特に鬼太郎は、背景画の多くがまさに死の影濃く、紙の中に本当に妖怪住んでるんじゃないの?とすら思わせられます。
狸が東京に攻めてくるくだりの長編は特に印象的な背景が多かったような記憶があります。
そういえば、漫画つながりでいえば永井豪の漫画版「ダンテの神曲」も印象的です。
永井作品の世界観の根底を描く入魂の一作だけあって、ドレの版画と併せグググッ!とはまり込んでしまいます。ただ、地獄編は手放しでおすすめできるんですけど、その後、煉獄を経て天国へ行くくだりは・・・日本人的価値観だと違和感を覚える部分もあるにはありますので、読み手を選ぶかもしれませんね。
そしてボッス、ですね。誰に相談を受けてのこの記事なのかがわかりやすいですw
私も同じ相談を受けた身ですwwww
確かに、シュルレアリスム的観点とシンボリズム的観点からボッスの作品に「斬り込んでゆく」というのは、わかりやすさという意味ではいいと思います^^ただ、何せ情報量がものすごく多い作品だらけなので脳味噌死にそうな気もしますけどw
もし、それらの観点からアプローチしていくのであれば、ひとつひとつの作品にフォーカスを当てて思考する位が思考ボリューム的にも妥当なのかもしれません。