リルル、しあわせを嚙み締める2
- カテゴリ:日記
- 2017/05/26 00:28:52
同じタイトルでもう一度。
「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」
今日の夕方。
自分の問題を整理してみた。
ボクはたしかに結婚していない。
独りでいる事にしあわせを感じている。
欲しい物を手に入れている。
ボクは目立ちたい。
いや、本当は「欲しい物を1つにしぼりたい」
これはよく分からない事を書いていると思われるかもしれない。
父性とは切り捨てる。
取捨選択する。
そう。ボクは父性を求めているのだ。
それはゲームである程度は満たされる事もある。
それは優柔不断な自分は・・・「本当に欲しい物」を見失っていた。
いや、「存在を認める」
これこそが本当に欲しい物だ。
それはなかなか難しい。
そしてバカな事にボクはそれと「目立ちたい」という欲求がつながらないと
感じていた。
でも、本当はつながっていた。
1つに選ぶ事が怖かったからだ。
本当にそれ以外を無視してもいいのか。
そう迷いがあった。
そこで迷いながらも
「存在を認める」とはどういう事だろう。
それは「大霊の導き」を伝える事にもつながる。
また自分の行動を通して「大霊の導き」を祈る事でもある。
24時間、常に「大霊の導き」を祈り、伝えたい。
大霊とは何か。
あなたの望む死を与える存在である。
あなたの存在を認めてくれる存在である。
唯一無二の死神にして。
彼・彼女以外にその名を名乗る存在はいない。
それ以外はすべて実は物の怪なのである。
そしてボクたちの本体である。
キリスト教の言葉に
「神の計画に失敗は無し」という言葉がある。
それは「大霊」の事だ。
大ヒットする物語の定番とも言える。
悪役が権力とお金に任せて・・・または暴力に任せて・・・
恋人を奪い、自分の意に従わないので殺してしまった。
奪った男性は権力と暴力で富と財産を手に入れた。
だが、彼女の死に目には会えなかった。彼女は生き延び、恋人に抱かれて死んだ。
一見、奪われたように見える。
しかし、奪えはしないのだ。
どういうわけか
それは必ず200年の時を得てでも元へ戻ろうとする。
愛してくれた相手に巡り合おうとする。
不思議なものだ。
ボクの好きな言葉というよりは
魂を揺さぶられた言葉を載せる
心の外に求めているうちは手に入らない。そうでは無く、心の内から湧き上がってくる想い、パッション、創造(それは誰とも争わない。それは世界を助けてあなたの望みを次から次へと叶えていく)心の内に創造の芽が芽吹く時。あなたは何者にも変えられない喜びを知るだろう。
チャンスは無限にある。
チャンスとは創造に出会う時である。
心の内より湧き上がってくる創造。
ある人は未来日記をつけるといいよと言った。
だが、ボクにとっては欲しい物日記だった。
目立ちたい→は欲しい物を1つに決めて
存在を認める
それは「大霊の導き」を伝える事であり、「大霊の導き」を祈る事であるという事。
それを24時間怠らず、実行したい。
「大霊の導き」を伝える事は魂の喜びを感じる。
「大霊の導き」を祈る事も魂の喜びを感じる。
祈りながらゲームをしよう。
祈りながら掃除をしよう。
祈りながら洗濯もしよう。
祈りながら仕事もしよう。
祈りながらヨガもしよう。
祈りながら運転もしよう。
祈りながら映画を楽しもう。
ああ、そうだ。それでいい。
今日はよく眠れそうだ。
お読みいただいてありがとうございます
「自分は間違っていた」と、死の間際に気づいた。男は全てを奪われていた。
因果は大霊だけが消す事ができる。
どんな因果があるかわからない、知らない。
消し方も知らない、わからない。
ただ「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」
そして大霊へ感謝するなら
あなたの因果は「奇跡」を体験するようになっている。
あい