最後のかみさま
- カテゴリ:日記
- 2017/05/05 23:46:53
最後のかみさま
魔王サタン、ルシファーでさえ
膝を曲げて頭を下げる。
全ての魔王を従えていて・・・
全ての天使と神々の崇拝される存在・・・
真の死を司る神。
無を望む者には無を
全てを望む者には全てを
お与えになる神。
その者がいかなる者であろうとも
必ず望みの死を提供できる神。
本当の死神
いや、唯一無二の死神。
最後のかみさまを除いて
その名を名乗る事はありえない。
冥府の王、ハデスはその息子
ニュクス様の「最後のかみさま」の御前に
連れていくだけ。
訪れる者によって姿を変えられる。
ある者にとっては
阿弥陀仏であり
天照大御神様であり
そして魔に落ちた者にとっては
ニュクス様の姿で導いてくださる。
大霊(たいれい)
そう呼ばれる事もある。
ボクたちは分け御霊。
それが本体。
神の子なのだ。
人間という器と共に。
四つの魂もお与えに。
旅を続けていくうちに忘れてしまう。
もう殺されるのも
殺すのも
嫌だ。
ボクは人々を繁栄させる道を学びに来た。
愛をこめてキーボードを打とう。
キーボードを打つたびに、煉獄に落ちてしまった霊たちが大霊の元へ帰る事を祈ろう。
マザーテレサが日本のシスターに言った言葉の中に
「フラッシュとシャッターが切られるたびに迷える霊が神の元へ帰る事を祈っているのです」
というのがある。<愛をこめて生きる、渡辺和子著php文庫。何ページか不明、記憶に引用です>
ボクの誕生日は11月2日
煉獄に落ちたすべての霊が神の元へ帰れる事を祈る日である。
どうして自分はハロウィンに生まれたのか。
どうして自分はジャックオーランタンが視えるのか。
どうして自分は煉獄に落ちた物の怪を嫌わないのか。
どうして自分は浮遊霊たちを浄化できるのか。
その答えは誕生日にあった。
そしてその日に生まれた事は
宿命なのかもしれない。
最後のかみさま
地獄の門番も閻魔大王でさえ、土下座して道を開ける。全てのの存在が道を譲る。
最後のかみさま。
この神を思い出す事に勝る善は無いと
言いたくなるほど
最後のかみさまという存在はいやしとなる。
ボクには。
いやしとならない人もいるだろう。
それはボクという他人から与えられた「神」だからだ
無神論を司る魔王サタンは・・・
神を信じていないのではない。
他人に与えられたすべての神を否定する存在だ。
神は他人から与えられて感じるモノではない。
神はあなたの内にある。
内からあふれ出る。
内なる神と呼ばれる由縁。
「神なんていないよ」という内なる声を肯定して・・・内からあふれ出る神にこそ気づいてほしい
サタンと一緒に与えられた知識の神を壊し
あなたが信じなくても
誰が信じなくても
「存在」するもの。
生じることも無いので滅する事も無い
「存在」を感じてほしい。
ここまで読めば答えが浮かび上がる人もいるだろう。
信じる事をやめて消えないモノが
心にあるとき
喜びを感じる。
あい
チョコレートパフェ食っちゃいました。
ゴールデンウィークも終わりですなぁ。
奇跡は消えない。
最後のかみさまは決して消えない。
「存在」は決して消えない。
存在を感じる時、そこには喜びがあります。