Nicotto Town


ウイルス戦争 神は死んだ


AppleIIIは冷却不足だった

スティーブ・ジョブズは冷却ファンの音が思考の妨げになるからと、初期のマッキントッシュには絶対に冷却ファンを付けなかった。
このため初期のマッキントッシュは度々、熱暴走が原因の故障が頻発したので売れなかった。

しかし冷却ファンを付けない事によるトラブルはマッキントッシュが最初ではなく、AppleIIIの時点ですでに致命的欠陥として認識されていた。
冷却ファンも通気口もないAppleIIIは熱が内部にこもり接触不良などの故障を頻発させた。
AppleIIIはビジネス用途をターゲットに設計されたが、動作が不安定なのでは業務に使えない。
このためAppleIIIはサッパリ売れなかった。

http://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/rensai/genesis/170/01.html
それではAppleIIはどうだったのだろう。
AppleIIも電源部品の冷却において、技術的問題が発生したがアタリのロッド・ホールトに、ファンを使わなくてよい電源の開発を依頼した事により解決。
こうしてAppleIIの熱問題は回避されたのだろう。

しかしAppleIIIでは通気口がない上に電源装置の熱は電子部品を容赦なく加熱したので、故障が頻発。
AppleIIを生産中止にしてAppleIIIに全力を注いだアップル社は大損害を出した。
そこでマッキントッシュを開発して損を取り戻すぞと意気込んだら、やっぱり冷却ファンがないから熱暴走と接触不良が頻発しマッキントッシュも在庫の山となった。
ジョブズって学習しない奴だなぁ。

これがDOS/V機なら電源用、CPU用、PCケース用で合計3個の冷却ファンが回転していた事だろう。
マザーボードによってはチップセット用にも冷却ファンは取り付けられていた。
パソコンマニアはメモリ用、ビデオカード用にも別に冷却ファンを取り付けたりする。
さらにPCケースの上下面にも別途、冷却ファンを回転させる。
HDD冷却用やPCケース前面とサイドパネルにも別に冷却ファンを付ける。
これら無数にある冷却ファンが夏場、轟音を立てて回転するのだから痛快だ。
ゲーム用パソコンでは大型ビデオカードの冷却が問題になるので、パソコンマニアは各装置の温度を常時、モニターしていたりする。
そうやって温度が上下するさまを眺めて越に入るのである。

世界のパソコンマニア達はジョブズに「冷却ファン付けたほうが良いよ」と教えてやるべきだったように思う。
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AppleIIIの設計にウォズニアックは関わらなかったが、ウォズは正確な配線図を書けないという欠点があった。
http://iphone-mania.jp/news-57785/
AppleIIの配線図はビル・フェルナンデスが書いたのだが、ウォズがそれについて言及することはない。
ビル・フェルナンデスの活躍は映画でも描かれることはなかったが、ウォズとしては「AppleIIは俺が作った」という伝説を守るため彼の存在は邪魔だったのかもしれない。
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http://www.weblio.jp/content/おかしな関係

APPLEⅢが冷却問題を抱えていたと聞いて、ふと私は昔の映画”おかしな関係”を思い出した。
映画おかしな関係 はエディ・マーフィが脇役で出ているという以外、特に凄い映画ではない。
話の筋は、こうだ。
新型戦車のジャイロ装置を開発中の技術者が能力の限界から、装置を完成させられない状況に陥り困っていたところ
ひょんな事から高性能ジャイロを手に入れ、それを自分が開発したと言ったわけではないが周囲が技術者を救世主として祭り上げたので言い出せなくなった。
ところが、高性能ジャイロには冷却問題の欠陥があった。
欠陥を知った技術者はジャイロに玩具を取り付け、風を送ることで冷却問題を解決する。
こうして新型戦車は完成し、それを脇役のエディ・マーフィが使って終わり。

冷却するなら風を当てればいいと言うけれど砂漠の嵐作戦では常時30度~40度の気温だった。
空気が熱いのに、風を当てても冷却できる訳がない。
だから新型戦車がもし中東にでも派遣されたら、一体どうやって冷却するつもりだったのか。

これはパソコンでも同じことで夏場にいくら風を当てても、冷却効果は極めて限定的である。
いくらファンの数を増やしても、ビデオカードの温度は少ししか下がらないだろう。

アバター
2017/04/07 02:35
ジョブズがアップルを追い出されたのは1985年。
Macintosh SE (1987年-1990年)の時点で排気ファンが搭載。
1994年、アップルは他社にオペレーティングシステム (OS) のライセンス供給を開始。
このためMAC互換機が次々発売され、アップル製MACはさらに売れなくなっていった。
1994年、PowerPC搭載のMacintosh (Power Macintosh) が登場
1996年、ジョブズがアップルに非常勤顧問で復帰。
アバター
2017/04/07 01:52
↓PowerPCの時代はジョブズはappleにいませんでしたね。
アバター
2017/04/07 01:46
MacもPowerPCの時代になって、ようやく普及しだしました。
この頃は空冷ファンは付いていたようです。
それでもカラー出力のビデオカードやカラーモニター、ポストスクリプトのプリンター、ソフトウェアを入れると500万円ぐらいだったかもしれません。
私が買えるようになったのはPC本体がで50〜60万円ぐらいになってからです。

G4(MDD)の頃はファンが爆音で、掃除機のような音がしていましたが
G5やインテルを採用してから、かすかにファンの音が聞こえるる程度になりました。

再起動や始動するとき、最初にため息のようなファンの音が聞こえますが
起動が遅いと、やや心配になります。



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