例えば
- カテゴリ:日記
- 2017/03/24 00:09:57
例えば僕が今日、今死んでしまったとして。
世界に何の影響があるのだろう。
死んでいることに誰も気づかないまま、朝は自然と当然にやってきて、仕事に出かける時間が来て、仕事の始業時間が来て、子供たちの牛乳のじかんがきて、外遊びの時間になって、お昼ごはんの時間になって、それが終わって片付けの時間になって・・・。
きっと先生たちは困ってしまうだろう。時間になってもこないから。
主任は僕に電話をするだろう。なんどだって。
園長先生だってきっと。
でも、この世界で僕のしごとのことも、起きる時間や出かける時間、始業時間を知っている人間はあの小さな職場の人と、祖父母と、もしかしたら父親も知っているだけにすぎない。
この世全体の人口は数え切れないし、日本の人口だけで何十億といるのに、僕のことを知っているのはあの小さな世界の人々と、祖父母ともしかしたら父親だけなのだ。
だから、多くの人が僕がいないことに気づかないし、部屋を出ないことにも気づかないだろう。
でも、影響があるのは仕事だけだ。
きっと、なにもかわらず、いつものように時間が流れていくだけなんだ。
そして、いつかボクが死んでいるのが見つかって、ボクはきっと警察がもってるカメラの被写体になるんだ。
きっとそれだけ。なんの影響もない。
仕事場に迷惑がかかるだけ。
僕一人が死んでも、きっと、関係ないんだと思う。




























例えば、ニュートンのリンゴのように、蝋燭さんがいることで子供たちの一人が将来世界を救う発明家になるかもしれない・・・
社会人になると仕事だけになるよね、あほたんも死んだら社長だけ困るかな・・・w
結婚しているのにまた一人暮らしなんだよねぇ
「僕一人が死んでも、きっと、関係ないんだと思う」
本当に、そう思われていますか。
私なんかこちらから「歯止め」をやめてしまった人間だというのに、「もしかして」という気持ちだけで、メールアドレスを何度も確認しているくらいです。
もし、万が一マリアさんの亡骸を見つけてしまったら、きっと私は後を追うでしょう。
それだけでは、だめですか。
私に限らず、マリアさんの存在を「生きる糧」としている人間を救うために、生き続けてはくれませんか。
伝言板にマリアさんの姿を見つけただけで、「今日はきっと良い日だな」と思いました。