Nicotto Town



合同葬の彼岸について


昨年亡くなった伯父をお願いしたお寺さんからお彼岸の連絡が。
なるほど、こうやって弔うのですね。塔婆を一本お願いしました。
さて出席して講話を拝聴するか……うーむ、少々悩んでいる。

私は旧来の文化風習で教育されて従わされたが、敬虔な信徒とは程遠い。
実家の寺には不義理してるし、そもそも墓参りや法事というものが、
生者のエゴであるという観点も捨てられない。ドライな死生観というべきか。

両親の実家の墓、彼岸以外でも近くを通った時に立ち寄って、
線香だけ買って手を合わせ、雑草を少し抜くくらい。
行きたくなったから行く、というのが健全な気がするんですよね。

他者によってプログラム化された祭事に従うのが苦手だからでしょう。
ですが死者を想い出すことは嫌いじゃない。そういう機会はあってよい。
もともと彼岸やお盆ってそういうもんなんでしょうけど。

知人の花見に参加したとき、駅のそばのでっかな共同墓地だったことがある。
桜並木の広い坂の両側に広がる墓地、人々がシートの上でグデングデン。
あーコレは正しい在り方だなと感心した記憶があります。故人も嬉しかろう。

合同葬の法事、見知らぬ他人のために祈ることになるのが…ちょっとね。
これも生者のエゴ、初の彼岸くらい我慢すべきかなー。
あ、聞きなれない密教のお教も違和感あるんだ。どうすっかな明後日。

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