祈りにかえて、
- カテゴリ:日記
- 2017/03/11 14:46:20
あの日、わたしは図面の直しをしている最中に
地震を感じましたが、あまり強い地震とは思っていませんでした。
震源から遠い福岡の内陸部の会社でしたから、
事態を知ることになったのは、休憩でテレビニュースを見た、
社員さんたちからの言葉からでした。
当時住んでいたアパートに帰り、テレビを見ると、
他番組の放送は無く、ずっと地震情報が流れ続ける状態でした。
津波、直接被害を受けた町々を遠くから望遠カメラで映し出す映像
流出した燃料が燃え盛る様子。
見続けることは、想像力のあるひとなら心をえぐられてしまう様な、
怖いものもありました。
かろうじてまぬがれた人々も、たとえ、名前も知らぬ人であっても、
波に飲まれてゆくその姿を正視することは、苦しいことだったでしょう。
大きな自然の力のもとでは、わたしたちは無力です。
生き延びて、命を次の世代へつなぐこと、
そして、恐ろしい記憶を言葉で伝えて、生き残る心構えを持たせること、
慢心せずに周到に備えをすること、
被害に直接遭わなかった人たちにも、伝えて、
だれもが、傷付いた心に、永遠に失われてしまった心に、
思いを馳せることが出来る様にして欲しい。
その後も、今も、はるか過去においても、
どこかで起こっていた災害や、人が招いてしまった恐ろしい出来事にも、
同じ様に関心を寄せて、思いめぐらせて欲しい。
政治、経済、国同士の間で起こる不幸な衝突は、
自然災害よりも回避は出来そうな気がする。
思想や宗教を越えて、
手を取りあって歩むことを目指して欲しい。
この日のことは日本や海外の人も時間になると手を合わせるでしょう・・・
気にしなくていいよ〜
ブログ記事を読んで、何か感じてくれるだけでいいと思ってます。
そして、コメントは、記事を読んで、記事を書いた人へ伝えたい何かが、
心の中に生まれた時に書けばいいのだと思うの。
それは、すぐにひらめくときもあれば、
数日経って思いつくこともあって、
書きたいことが無ければ書かなくてもかまわないと思います。
震災のことは、忘れられないことだけれど、
思い出したくないと思う人も多いはず。
無理に何か思い出したり、書かなくても、大丈夫。
時間が経ってようやく何かを見つけることもあると、
わたしは思います。
心の整理も、復興も、焦らなくてもいいと思う。
町も人も少しずつ変わってゆくでしょう。
待つことも大切だと思う。
結論を急がないことも、少しずつ考え続けることも
生きることって、何かをちょっとずつ続けることじゃないかな〜と、
おもったりしています。
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ブタもおだてりゃ木にのぼる
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今日もコメントかけなくてごめんなさい、今日のうちに書こうと思います。
火山や、活断層や、いろんなものがあるので、
どこも地震や津波に無関係じゃありません。
みかさんも気をつけて、
日頃の備えが大切です。
わたしもー、まずは安全ヘルメットが欲しいかな?
手を取り合っていきたいね!(^-^)
地球の地殻の長い歳月を掛けた運動が、
幾つもの方向から寄り集まる場所で、
激しい変動が起こっている土地。
イカ、タコの頭足類の祖先アンモナイトの
古い化石は巻いて無くて、まっすぐだった様ですが、
激しい地殻変動のある土地、海底では、
不規則に曲がりくねった(苦悶で曲がった様な、)
化石が多く見られるんだとか、
太古の日本も環境の厳しい場所だったそうです。
世沙明さん、
コメントありがとうございます。
厳しい自然環境の場所に留まった祖先たちは、
協力して生活することで、団結力や組織力を育んできたのでしょう。
優しさと強さは、ここで生き抜くのに必要な能力だったのだと思います。
Rayさん、
憶えていること、繰り返し思い出すことで、解ってくることもあります。
怖くて思い出したくないと思うことも、生きることで日々積み重なってゆく
人生経験が新たな視点と解釈を与えてくれると思います。
ときどき思い出してみて下さい。ただ怖いと思っていた記憶に
何かが付け加わってゆくと思います。
ネコ衛門さん、
衛門さんの日頃の気遣いや、優しい気持ちのこもった言葉は、
なにかあった時も、きっと周りの人たちを助けてくれると思います。
わたしも改めて、備えと心構えを見なおしてみたいと思います。
映像が流れて来てもまるで映画のワンシーンのようで。
信じられない現実に言葉がなくなりますね・・・
それでも。
支え合う姿に日本人の強さを感じたのも事実。
あの日・あの時はインフルエンザの熱が下がり診察を受けた帰り道。
車中でラジオを聞いていました。
揺れてる~の言葉が流れてくれば?
頭上で電線が波打ち、沿道のパチンコ屋からは飛び出てくる人々。
海沿いドライブ中に道が波打つ感じ。
住まう地域で建物などには影響なく幸い。
あったのは・・・
停電。
店舗営業の中止。
津波警報で主要幹線が通行止め。
備蓄品とキャンプ用品でやり過ごした日。
こちらもおそらくこの先大きな地震に遭うハズ。
おこることを忘れず影響が小さく済むよう考え準備。
人として優しさや秩序を守ってその時を迎えられるといい。
, f⌒)
〈 ヽ、」 { ,ノ|
、____j ! 厂 ̄ ノ
ゝ、 ¨ `ヽ-┐
. ´ . ` =ァ ハ 、 {ー--- '^. .
/ . () . 厶-‐′} ハ、 ヽ、 . . `ヽ
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小田原もすごく揺れました、放送もかかりました、あの日のことは二度と忘れないですね。
今は直視して考えることができないです。。。
ちゃんと備えられる
ちゃんと思いやれる
余裕が欲しいなぁ(´ω`*)。o○
たしか❍❍動物園って題名のでした。
(書庫部屋にあったはず…)
今は同人誌中心に活動されてるんですよね。
なんとか入手したいなぁ〜と、思ってましたが、
地方の田舎町からではなかなか…
小説も書かれてましたよね。
あとで探してみようっと、
生きるためには、仕事もなければ…
わたしは派遣技術者として生きていますが、
遠く離れた九州でも、震災の後、多くの人が
こうしていつも通りに仕事をしていていいのか?
と、思い悩む人たちが多くいて、
直接被災地へ出向くだけが支援じゃないんだよ、
東北の産物を買ったり、避難して来たひとたちと
共に働いたり、出来ることをしようと、励ましあっていました。
真実を知ることは大切なのですけれど、
事実に直面して、それを受けとめられる人と、
受けとめられない、心を病んでしまう人が居るでしょう。
お互いを支えたり、支えられたりしていければと、思います。
熊本地震の時は、佐賀県にいました。
夜休もうとベッドに横になっていた時に、
激しく揺れて、すっごく怖かったです。
地球の中身が熱く、動いている限り、
地震は発生して、無くなることは無いでしょうから、
地震に遭っても被害を最小限にすることや、
命を守ることを考えて行動することが
大事じゃないでしょうか。
私はこの地震のせいで仕事失いました
なんか津波のせいで全国で書店が二割減ってしまったようです
当然売り上げも二割減るわけです
それが致命的でした
まあ、もともと最低ロットぎりぎりだった私がわるいんですが・・・・
三次か四次被害ですかね
この津波がなければあと何冊かは出せたはずと聞いてましたが・・・・・
なくなった方がたくさんいらっしゃるのに、仕事の話は不謹慎ですねと思って
あまり言わないようにしていたんですけど
ああ、もう六年も経ってしまったんですね
あのときは雪が降っていましたね
横浜でも結構な被害あったんですよ
駅の近くのタイル舗装の歩道が壊れて通れないとか
千葉県までゆくと水道全壊とか、行きつけの本屋さんがない・・・レストランがなくなった
とかいう話ずいぶん聞きました
千葉では死者もいたはず
関東は被害圏内でした
ちょっとの距離でずいぶん違ってました
そちらでも感じたんですね
九州は台風が半端じゃないですが、この間は地震もひどくて
熊本市内に主人のいとこ一家がいて、わりと長いこと連絡取れなくて心配しました
関東東海は次は来るなと思ってどきどきです