卒業式
- カテゴリ:コーデ広場
- 2017/03/02 23:36:50
卒業式シーズンですね。
もらったステキコーデ♪:22
高校は卒業式シーズンですね。
私は、変わった子供だったので(今でも変わってるか…)
好きな教科と嫌いな教科の差が激しく、
地域でビリくらいの高校に行ってました。
高校受験の時には、中学の担任の先生は他の学校を勧めて下さったのですが
いい加減な私は
「受験勉強しなくて入れる一番近い学校」
を選択しました。
勉強は嫌いでほとんどしなかったので、成績は中の下くらいだったので
一応合格可能な学校はほかにいくらでもあるにはあったのですが、
基本的に高校進学の意思がなかったので、本当にいい加減でした。
多分、こんなやつ他にいないと思います。
高校に入った最初の担任に
「なぜ、この学校に来たのか?」
と聞かれました。
「先生~、数学が他の強化並みにできれば、この学校に来てませんよ~。」
こんなやつ、いる?
愛校心など、さらさらなく、詰まんない自分に別れを告げるように
私は卒業式が終わったら、一番に校門を飛び出しました。
でも、私は多分この高校に入って正解でした。
私立専願で、公立を受けるみんなと違い受験期間を一足先に
離脱した私はクラスの卒業文集政策を引き受けました。
あと何人かの専願合格組と就職組で原稿集め、先生のインタビュー
目次や表紙作り、印刷、製本まで中心になって、ほとんどの
ページを作り、がんばったのを初めて担任の先生が認めてくれました。
今まで、他のもっとできる生徒の陰に隠れて能力を発揮する場のない
生徒たちのちから、というものを先生も感じたのだと思います。
見てくれも良くて、勉強も運動もできてクラスのリーダー
そんな優秀な生徒の陰に隠れて目立たない私たちにだって
やればできるんだということ。
「お前がこんなにできるとは思わなかった。」
それは賛辞であると同時に今までの私を全く評価していなかった
という告白でもあります。
私はキホン、前に出ることは好きじゃなくて、
自分に自信のない恥ずかしがり屋でしたから。
しかも質の悪い変わり者でしたしね~。
人生にはターニングポイントがいくつかあって、
ココは一つの大きなターニングポイントでした。
先生に認められて自信がついて、自分よりレベルの低い高校では
優等生扱いを受けて、変われました。
高校さえ行かないと行ってた私が短大に進学させてくれと
親に頼み、うちの高校からは一人しか合格しなかった少し上の
レベルの短大に進学しました。
お茶にお花に着付けと習い事も一通りやって、
運転免許も取り、それが、また後の人生でも色んな場面で
糧になっていきました。
結婚して子供を産み、親としての修行の毎日もそうでした。
娘は弱視で矯正治療も必要だったので、乳飲み子の下の子を連れ
一日がかりの大学病院通い。
幼稚園から高校卒業までの役員生活。
そんな一つ一つが人生修行であり、自分が成長するために必要な
ことだったのだと思います。
つらいこともかなしいことも、平凡でつまらなそうな毎日が
どんなにありがたいことが思い知るために必要なことでした。
人生に無駄はなし!
私の座右の銘です。
人生の卒業のその日まで、日々修行です。
毎日色んな事がありますが、自分を信じて頑張ります。
これ、時間軸がぶれてるのでわかりにくいですね。
高校受験の前なので中学の担任なのです。
矢張り、子供時代は「先生」の存在は大きいです。
いい先生も悪い先生もいましたね。
今も年賀状のやり取りが続いている先生方もいます。
まいごサンの変われるきっかけは
高校の恩師の方の 一言 にもあるんですね~
私も イイ意味 悪い意味でも
恩師の影響を 受けている気がします (^-^;
好きな先生が 英語の教師だったので
英語が好きになり
嫌いな先生が 体育教師で
いつも ピーマン色のジャージを着ていたので
ピーマンが 嫌いになり。。。単純 (^▽^;)