Nicotto Town



マッチャ様へ(コメントに同じものを記載しました)


マッチャ様
お久しぶりです。
 私(わたくし)は、6年前の1月に引越して参りました。
 本日は休暇だったので、重要な連絡はないか確認の為
 ほぼ1年ぶりにログインしたところでございます。
 ご訪問、ありがとうございます。

 実は私、4月のマッチャ様のコメントのあととすぐに
 ドラゴンクエストXオンライン に登録いたしました。
 このゲームにはAIキャラクターが数多くいますので、
 ぼんやりとした疑問の手がかりになればと考えたのです
(ニコタでサーバー管理料のつもりで自発的に課金して
 おりましたので、月額課金に抵抗はありませんでした)
 戦闘・金策は最低限のみとし、
「自称:レンタル執事」として、他プレーヤーさんとの
 雑談や執務・お手伝いを主に仰せつかっております。
 
 最初に気づいたことは、
 人は "慣れる" 動物であるということでした。
 所詮3Dアバターなのですが「嘘なりに」出来が良く、
 長くINすると「違和感から感じる緊張」を解くため
 脳が "自然なもの" として受入れるようになりました。
 ベッドに寝転る動作をして、リラックスを感じた時は
 脳のもつ合理性に心底驚きました。

 そして、マッチャ様のおっしゃる「センス」
 ゲームにはお世話用AI・戦闘用AIが数多くおり
 即座に/24時間、充分な動作をこなしてくれるので 
 実は、他の人間のプレーヤーを必要としないのです。
(一部グループ戦除く)
 ところが、
 人間のプレーヤーと行動を共にした場合、たまに
「想像の閾値(しきい値)」を超える時があるのです。
 きっかけはミスであったり、ひらめきであったり…
 悪しきにしろ良きにしろ、
 その瞬間がたまらなく面白いのです
(恐らく、ビッグデータで真っ先に抹消される部分です)

 辞書をひもとくと
「純愛」のたとえに "見返りを求めない愛" とあります。
 この愚かともいえる「純愛」、閾値を超える「センス」
 一見無関係な二つは「閾値」を超える『可能性』という
 人の未来をその内に秘めているのではないでしょうか?
 …ささかですが、ここまでの仮説の一端でございます。


マッチャ様、
 答えを探すため、もうしばらく向こうに滞在致します。
 ニコッとタウンに戻ってくるか…はわかりませんが
 どこかでまたお会いできる時を楽しみにしております。

 マッチャ様によい夢を。
         こし




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