どうでも良い事だが、其の後に其々の近所の
- カテゴリ:日記
- 2017/02/06 05:16:34
どうでも良い事だが、其の後に其々の近所の教会のキリスト教に
変えて信仰した人も数年後に知人でいる。
キリスト教は日本式のキリスト教に日本ではなっていた。
神棚OK 初詣も行く、節分もする、元々日本の神道は仏教を信じても
其れは宗教として許された。
日本の神道は日本に生まれた日本人は生まれた時から
其の地域の氏神様(土地の地域を守っている神様の手の中に居る)に
見守られている。
其れと信仰する物は違う。
仏壇は先祖が仏教で其れを信じて其処に霊魂が居るのなら
其れも在ってもOKである。
別にキリスト教で無くても子供達は日曜学校に通って
幼稚園も近所にキリスト教系の幼稚園が在るのなら其処に通った。
だが、どうしても苦しくて誰かに話を聞いて欲しくてとか
色々な事情で教会に通う人も居た。
其々が日本の八百万の神様を認めている日本の中で
他の宗教を排除しないで認めると言う中で人の心のよりどころを
救いを求めてさまよう人達に寄り添うように存在する。
そんなんで「●●斎場」のCMみたいな事が起きる。
私も数珠を入れてあの黒い水引の中にお金を入れて
違うと電話で確かめて慌てて別の袋を買いに行ったりした。
イスラム教が日本で他の宗教を否定したのなら、
此の国に一歩も入れない。
此の国の神道の神様は「トイレの神様」が居る位だから
あらゆるところに神様は入る。
居ない場所は無い。
自ら他の宗教の神様の庇護のもとに入り込んで
他の宗教の神様に見守られて、
自分達の信仰に其の時点でそむく事になる。
だから最初から来るのは無理だから。