Nicotto Town


てらもっちの あれもっち、これもっち


コミニュケーション

人とのコミニュケーションが下手だとは思っていないけれども
その難しさについては、常々、感じている。
 
多分、自分の考えていることを整理できていないうちに、伝えようとしているのだろう。または相手の受け取り方を考えず、自分勝手な話し方をしているのか。
 
話が外れる。

最近、言葉で伝えることより、態度や表情で伝えていることの方が多いことを実感していて、中でも、目というのは、自分の心の奥底までを相手に伝えているのだと思う。伝えているというのは言い過ぎであれば、感じさせている、というところか。
 
相手の話を真剣に聞いている人は、相手の目を見つめている。
逆に、自分が相手に話を伝えたい時も、相手の目を見つめている。
 
見ているだけかというと、どうも、そうではなくて、目の細かな動きや、顔全体の表情で、気持ちの一部や、脳の活動の一部を伝えている感じがする。
 
表情というのは世界共通で、文化的な伝達ではなく、人類のDNAに組み込まれているらしい。
 
実際、表現が適切でないと感じた瞬間や、相手にひるんだ時には、目をそらそうとしたり、伏せたりする自分の筋肉や視線の動きを感じる。
 
普通、人のコミニュケーションといえば、言葉という具体的かつ抽象性の高い(反した表現だけど、適切と思う。)道具を使って、スピーディにイメージを伝えていることだ。しかし、人が、人になる前、動物だった頃は、鳴き声や身体の動作だけで、敵が近づいてきたり、餌のありか、友情、親愛などの、お互いの思いを伝えていたはずだ。
 
 そして、特に敵への威嚇行動や、親子の親愛、繁殖における相手探しのケースは、生存や進化の生き残りをかけた、嘘が許されない、かつ真剣なものとなるため、相手の真の意図を「言葉」を使わずに汲み取り伝える能力が必要だった。
 
だから、生物として基本的なコミニュケーションは、視覚や聴覚によるところが大きく、その能力は生物OSレベルに組み込まれている。ただ今の人間の社会生活では、言語コミニュケーションを使った便利な生活では、それを感じることは少ない。

 注意深くあれば、気がつく。コンビニでの店員との会話やビジネス上のコミニュケーションで、自分自身の心の動きや気持ちの向く方向がどのように生まれるかを観察すると見えてくるものがある。
 
 とっても簡単な例で、人は、無表情から笑顔を作ると、それを見ていた相手も笑顔を作る。笑顔を浮かべるだけではなく、笑顔を作る、表情の動作が必要。

他にも、嘘をついているときは口角が下がる。真剣なときや緊張した時は、瞳孔が開く。とか、鼻の下が伸びる。とか。男はわかると思うけど、あれは本当だね。
 
 蜂やアジの群が、一つの生物のように振る舞う。その時、意図の伝達は、動作と視覚や聴覚などの五感により行われる。これを他人事ではなく、同じ生物として自分ごととしてみると、自分が「自発的」に動いているだけでなく、「反応的」にも動いていることに気づく。
 
 テクニックとして使う。例えば、昔から言われている通りに、人の話を聞くときは、相手の目を見る。とか、足を組まない。笑顔を作る。とか、適切に頷いたり、ああ、と相槌をうつ。常に周りから見られていることを意識する。言葉でなくファッションもコミニュケーション。相手とのコミニュケーションにおいて、しっかりと気持ちを向ける。言いたいことをまとめる。そんなことも、それなりに人生を豊かにするのに役立つとは思う。
 
 ただ、相手に真剣に向き合う。常に影響を与え、与えられていることを意識する。自分が周囲と影響を交換し合う生命として存在することを意識する。
 
 群の中で一員として生きることを、快と感じる生物であることを認識した方が良いのかもしれない。
 あまり、孤独に逃げても、究極の孤独が死にある以上、生を生きる自分との整合性がとれなくなる。
 
 そして、なんとなく生きるのではなく、賢く生きたい。
 
 今日、ある医者と話した時に、コミュニケーション能力の向上を伴わないと、業務上の鬱の再発率が高くなる。という話を聞いた。自分も、これまでより周囲との会話を増やしていった方がいいだろうな。と思って、こんなことを考えた。
 
 
 まぁ、考えすぎなんだろうな。

 さて、夕食を作ろう。
 




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