モンゴルの捕虜収容所
- カテゴリ:30代以上
- 2017/01/19 23:36:28
太平洋戦争後のモンゴルの日本兵捕虜収容所の本を読んだ。
中国東北地方に配置された日本兵の一部が、取り残され、シベリア鉄道で移送され、モンゴルの捕虜収容所に収監された。
その収容所では、収監されて、すぐに、下士官、将校クラスは、元ヤクザの兵士に倒されてしまい、ヤクザが覇権を握り、ヤクザによる暴力と食料の占有が行われたらしい。
モンゴルはソ連の衛星国だったので、シベリアと同じような強制労働があり、捕虜たちは首都ウランバートルのビル建設に駆り出された。
食料がない窮乏した生活の中で、人は野生に戻る。生存本能だけで生き、他人を出し抜いてでも、食料を確保することが目的となるような思考回路になった。寒い地域なので死者も多く、凍死したり、壊疽で白骨化した足の指をそのままに働く人たちもいたらしい。
監視するモンゴル兵やソ連兵は、労働が行われていれば、それで成果となるから、死者数は気にしない。ヤクザと結託し、食料の横流しをして利益を上げていたらしい。他の収容所では、下士官がその役目を負っていた。
最後は、ウラジオストックから日本に送還されるのだが、ウラジオストックでの共産教育も凄まじく、行列しながら共産党賛歌を歌ったり、弾劾裁判を行ってから、やっと日本行きの船に乗れた。
色々と感じるところがある本だった。
戦争に負けるということは、そういうことなのだろう。
戦国時代に戦争に負けた藩の多くは、そういった悲惨な運命になった。カンボジアも。ミャンマーも。多分、今のシリアも、ロヒャンギも。
アメリカに占領された日本が、今、幸福な国なのは、様々な要因が絡んでいると思う。日本人が素晴らしく勤勉で、よく働き、今の日本を作り上げた、などという単純な理由ではない。
中でも、アメリカの独善的だけど、あっけらかんとした善性によるところが大きいと思う。
残念ながら、僕たち日本人は、アジアのジメッとした、隣国を気にしながらの、村意識的な善性しか持ち合わせていないわけで、世界の平和に貢献するぞ。自衛隊派遣!などと声高にもいえず、お隣の国との平和も保てない雰囲気である。平和の意味が、世界平和から国内平和になったり、原爆や空襲や戦死者の方々、生き残った人々の重いからも学べていない。
多分、大事なのは、憲法通りにちゃんとする、または、憲法を現実に合わせてちゃんとする。
という、「ちゃんとする。」というところから、なんだろうな。
今は、右に行くにしろ、左に行くにしろ、「ちゃんとしてない。」気がして仕方がない。
自分たちが、日本が、なぜ、あるか。なんのためにあるか。何を学んできたのか。どこへ行きたいのか。何者なのか。
ちゃんとしてないんだろうな。
と、ボヤかしながら、ぼやく。
ああ、ちゃんとしてないのは、僕か。。。。。
それでは、おやすみなさい。