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速水猛のブログ アルカディア「Ἀρκαδία 」


ガウチョ、ガウーショ


ガウチョガウーショ西GauchoGaúcho)は、アルゼンチンウルグアイブラジル南部のパンパ(草原地帯)やアンデス山脈東部に17世紀から19世紀にかけて居住し、主として牧畜に従事していたスペイン人と先住民その他との混血住民である。ウルグアイではガウーチョ、ブラジルではガウーショという発音がより近くなる。19世紀に入るとガウチョは各地のカウディージョに率いられて1806年、1807年にブエノスアイレスに攻めてきたイギリス軍を破り(イギリスのラプラタ侵略(英語版))、武芸の達人としての能力を買われてアルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルの独立戦争と内戦に従軍した。

アルゼンチンの歴史家マルチニアモ・レギサモンは「自らの住むランチョにその妻子を残し、給料も衣服も貰うでもなく、時にはわずかに許された悪習とでもいうべき地酒、煙草、マテ茶にも見切りをつけ、進軍ラッパと共に死線を越え、固い誇りを持って旗の下に死ぬ覚悟を持ち、自らを主と頼むものにはいっさい掛値なしに信頼し、白兵戦ともなれば第一番に敵陣に乗り込む──これがガウチョである」と記している。

アルゼンチンでは自らも牧場主であり、若い頃からガウチョに囲まれてガウチョ同然の生活をしていたブエノスアイレス州知事フアン・マヌエル・デ・ロサスの時代(1829年~1852年)に最も優遇され、国内の中央集権派やイギリス、フランスとの戦いで活躍した。チャールズ・ダーウィンが1833年に、荒野の討伐作戦(英語版)でパンパのインディオを討伐するロサスの軍隊を見た時はインディオと戦う英雄としてロサス将軍を賛美しながらも、「混血者や黒人ばかりであり、こんな悪漢然として盗賊風の軍隊は前代未聞である」「ガウチョと農民たちは都会に住む人間たちよりもずっと人間が上だ。ガウチョはいつも気前が良く、親切で、客を持てなす精神を持っている。無礼な者や、不親切な者は見たことがない。自分と自分の国について話すときには非常に謙虚だが、同時に無鉄砲で勇敢でもある」と記している。

1852年のカセーロスの戦い(英語版)によりアルゼンチンでロサスの時代が終わって、1862年に自由主義者バルトロメ・ミトレ(英語版)主導で全アルゼンチンが統一され、アルゼンチン共和国が成立すると、それまでのカウディージョ政治への反動と、西欧への盲目的な信奉により1868年にアルゼンチン大統領に就任したドミンゴ・ファウスティーノ・サルミエント(英語版)に代表される自由主義知識人はガウチョを「根性曲がりの二本足の動物」と呼び、スペイン的な遅れたもの、野蛮なものの見本のように扱い毛嫌いした。1878年から開始されたフリオ・アルヘンティーノ・ロカ(英語版)砂漠の開拓作戦(英語版)に代表される、パンパ南部、パタゴニアでの主にマプーチェ族をはじめとする一連の狩猟インディオとの戦いでは、ガウチョは先住民の駆逐・殺戮のために徴兵され、ニコラス・アベジャネーダ(英語版)大統領に代表されるアルゼンチンの自由主義者は共に近代化の障壁とみなしたガウチョとインディオを同士討ちさせた。その後のヨーロッパ移民のアルゼンチンへの大規模な入植による牧畜業の発展、所有地の確定と有刺鉄線の導入などにより、パンパが細分され、自由に行き来出来なくなる空間になるとほぼ消滅した。





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