Nicotto Town


ハトははのニコタ日記


なぜ日本人には虫の「声」が聞こえ・・続き

ふわあ・・

もらったステキコーデ♪:9


続き


虫の音に聴き入る文化 

日本では対照的に、虫の音に聴き入る文化がある。 
現代でもコオロギ類の画像と鳴き声を納めたインターネットサイトから、飼育法を解説した書籍まで無数にある。 
「虫の声」という以下の童謡は、虫の音に聴き入る文化が子供の頃から親しまれている一例である。 

あれ松虫が鳴いている 

チンチロ チンチロ チンチロリン 

あれ 鈴虫も鳴き出した 

リン リン リン リン リーン リン 

秋の夜長を鳴きとおす 

ああ おもしろい 虫の声 

この伝統は古代にまで遡る。 

夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこおろぎ鳴くも 

(万葉集、しのに:しっとりと濡れて、しみじみした気分で) 

近世では、明治天皇の御製が心に残る。 

ひとりしてしづかにきけば聞くままにしげくなりゆくむしのこゑかな 

一人静かに耳を傾けると、虫の声がより一層繁く聞こえてくるという、いかにも精密な心理描写である。 
また虫の「声」という表現が、すでに虫の音も言語脳で聞くという角田教授の発見と符合している。 
もう一つ明治天皇の御歌を引いておこう。 

虫声 

さまざまの虫のこゑにもしられけり生きとし生けるものの思ひは 

松虫や鈴虫など、さまざまな虫がさまざまな声で鳴いている。 
それらの声に「生きとし生けるもの」のさまざまな思いが知られる、というのである。 
人も虫もともに「生きとし生けるもの」として、等しく「声」や「思い」を持つという日本人の自然観がうかがわれる。 
虫の音も人の声と同様に言語脳で聞く、という日本人の特性は、この文化に見事に照応している。 

「日本人の脳」ではなく「日本語の脳」 

犬は「ワンワン」、猫は「ニャーニャー」 

角田教授の発見では、虫の音だけでなく、 
そのほかの動物の鳴き声、波、風、雨の音、小川のせせらぎまで、日本人は言語脳で聞いているという。 
これまた山や川や海まで、ありとあらゆる自然物に神が宿り、 
人間はその一員に過ぎないという日本古来からの自然観に合致している。 

幼稚園から小学校の4、5年ぐらいの日本の子供に、犬はなんといって鳴くかというと、 
ワンワンというにきまっているのです。 
マツムシはチンチロリンという。外国人に聞きますと、ひじょうに困るのです。 
なんというていいか一生懸命考えて記憶を呼び出して、ウォーウォーといったり、ワーワーと言ったり。 

(『右脳と左脳』p122 対談者の園原太郎・京都大学名誉教授(心理学)の発言) 

日本の子供が「ワンワン」と答えるのは当然である。親が犬を指して「ワンワン」と教えるのであるから。 
同様に猫は「ニャーニャー」、牛は「モーモー」、豚は「ブウブウ」、 
小川は「サラサラ」、波は「ザブーン」、雨は「シトシト」、風は「ビュウビュウ」。 
まるで自然物はすべて「声」をもつかのようである。 

このような擬声語、擬音語が高度に発達しているという点が、日本語の特徴である。 
幼児がこれらを最初から学んでくれば、虫や動物の鳴き声も自然音もすべて言語の一部として、 
言語脳で処理するというのも当然かもしれない。 
あるいは、逆に、言語脳で処理するから、言語の一部として擬声語、擬音語が豊かに発達したのか? 

いずれにしろ、自然音を言語脳で受けとめるという日本人の生理的特徴と、 
擬声語・擬音語が高度に発達したという日本語の言語学的特徴と、 
さらに自然物にはすべて神が宿っているという日本的自然観との3点セットが、 
見事に我々の中に揃っているのである。 

人種ではなく、母国語の違い 

角田教授の発見で興味深いのは、自然音を言語脳で受けめるという日本型の特徴が、 
日本人や日系人という「血筋」の問題ではなく、 
日本語を母国語として最初に覚えたかどうかという点で決まるということである。 

その端的な例として、南米での日系人10人を調査したデータがある。 
これらの日系人は1名を除いて、ポルトガル語やスペイン語を母国語として育った人々で、 
その脳はすべて西洋型であった。 
唯一日本型を示した例外は、お父さんが徹底的な日本語教育を施して、 
10歳になるまでポルトガル語をまったく知らずに過ごした女性であった。 
その後、ブラジルの小学校に入り、大学まで出たのだが、 
この女性だけはいまだに自然音を言語脳でとらえるという完全な日本型だった。 

逆に朝鮮人・韓国人はもともと西洋型なのだが、 
日本で日本語を母国語として育った在日の人々は、完全な日本型になっている。 

こう考えると、西洋型か日本型かは人種の違いではなく、育った母国語の違いである可能性が高い。 
「日本人の脳」というより、「日本語の脳」と言うべきだろう。 
角田教授の今までの調査では、日本語と同じパターンは世界でもポリネシア語でしか見つかっていない。 

日本人のみが発揮できる「独創性」 

違うがゆえに独創的なものが生まれる 
日本語による脳の違いとは、我々にとってどのような意味を持つのだろうか? 
理論物理学者の湯川秀樹博士は、角田教授との対談でこう語る(『右脳と左脳』p114)。 

つまり日本人はいままでなんとなく情緒的であるというていた。 
(西欧人が)論理的であるのに対して、より情緒的であるといっていたのが、 
構造的、機能的、あるいは文化といってもいいけれども、 
そういうところに対応する違いがあったということが、角田さんのご研究ではっきりしたわけです。 

そうするとそこで私が考えますことは、その違うということを生かすという方向です。 
違うということは上とか下とかいうことではなくて、その違いということを生かす。 
(中略)違うがゆえに独創的なものが生まれるのである。 
西洋に比べてあかん、劣っているという考え方が根深くあったけれども、 
そういう受け取り方をしたら劣等感を深める一方です。 

「違うがゆえに独創的なものが生まれる」とは、 
独創的な中間子理論でノーベル賞を受賞した湯川博士の言葉だけに重みがある。 
日本語の脳の違いは人類の多様性増大に貢献しているわけで、 
「虫の音に耳を傾ける文化」などは人類全体の文化をより豊かにする独創的なものと言える。 

こうした「生きとし生けるもの」の「声」に耳を傾けるという自然に対する敬虔な姿勢は、 
今後「宇宙船地球号」の中ですべての生命と共生していくために貴重な示唆を与えうる。 

我々が受け継いだこの「日本語の脳」の違いを意識的に極め、 
その独創性をよりよく発揮していくことは、我々日本人の全世界に対する責務とも言えるだろう。 

文責:伊勢雅臣 

image by: Shutterstock 


『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』 

著者/伊勢雅臣 

購読者数4万3,000人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。 
国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。

 




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