端を歩け!と其の叔父さんは言った。
- カテゴリ:人生
- 2016/12/29 17:57:11
車道から除雪車が行ったあとの雪山とそれぞれの家がよけた雪山で
歩道は一人が通れる様な所しかない。
其処はつるつる路面の上に今振っている吹雪の雪が乗っている。
何人もの人が其処を滑りながら歩いたのだろう凸凹の
つるつるになった氷の山が出来ている。
恐る恐る其処を歩いていると後ろから知らないおじさんが来て
「端をあるけ!」と言った。
私が端によって道を開けると其の叔父さんは「此処を通るんだ」と
車道の雪山が寄せられた端を歩いて見せてくれた。
雪に少し埋もれるが下はつるつるの氷では無い。
叔父さんが私の前に道を付けてくれた。
私より10歳位若い叔父さんで在る。
所謂ニッカポッカのズボンを穿いている。
頼もしい肩幅で在る。背筋がまっすぐである。
どんな仕事をしているのだろう。
今も現役の服そうである。
現状が彼を引退させないのだろう。
チラッと横目で私を見ると行ってしまった。
もう歩道の真ん中もつるつる路面の所で無くなった。
エグザエルの北海道で事故を起こした人の謝罪の言葉が
出ていた。
私はあの日の吹雪と路面を知っているから
悪いのは彼らで無い事を知っている。
誰が運転しても北海道では起こりうる事故なのだ。
余りにも日常過ぎて有名人だからニュースになった。
或いは玉突き状態になるとニュースになる。
軽い車同士のぶつかり合いは冬はしょっちゅうである。
こんなの異常事態だと私はスパイクタイヤが禁止された時から
思っていた。
春先に禁止してスタッドレスタイヤに面倒でも代えさせるために
春先の日にちを決めてその間にタイヤ交換をするのは無料にするとかに
すれば現実的により制御力が在るタイヤで事故はもう少し軽かったかも
知れない。
そんな事故の連日の現実の中で北海道のドライバーは非常な法律の中と
スパイクタイヤより制御力が落ちるスタッドレスタイヤで
ホワイトアウトとアイスバーンの道を走らされる。
何故春先に氷が解けた時に生じるスパイクタイヤがコンクリートの道路を削って
コンクリートの砂が舞い散る現状のみを問題にした法律にしなかったのか
今も疑問である。
或いはアイスバーンを解決させる道路を造られたからにすべきじゃ無かったのか?
何故春先だけでなく全面禁止にしたのか理解不能である。
真冬も禁止する意味があるのか?
人の命がかかっているのだ。
あの時のスパイクタイヤの公害を主張していた人達は
何故真冬の北海道の道路の現実を無視したのか理解できない。
其れよりも細かくタイヤ交換をさせる為にタイヤ交換を無料に
した方が余程現実に沿っていたと思う。
更にタイヤ交換をもっと簡単にする機械を作って自分で
其の場に行けば数分で交換が出来るのを作って
あちこちに置いて置けば良いだろう。
寧ろ適切な其の時のタイヤを研究して
今日のタイヤはどこどこはスパイクですと毎朝知らせれば良いだろう。
そして簡単に自分でタイヤ交換を出来る機械格安で販売して
自宅で数分でタイヤを其れにセットしておくとワンタッチで出来るのを
開発した方が命の守ると言う基本の為に無謀な法律より
ずっと良いと思っていた。
今スタッドレスは性能が良くなってきている。
其れでもスパイクタイヤより良いのか?
検証は済んでいるのか?
あの時の強引にスパイクタイヤを禁止にさせた人達に
其の後に其の為に事故で死んだ大勢の人達への償いを
させたいとさえ私は思う。
あの時、自分達は何をしたのか?
「其の綺麗事の言葉は正しかったのか?」と私は結果を見て
言いたい。
もっと別の方法が在ったのではないか?
今でも安易すぎたのではと私は思う。
北海道の真冬の道には其の「綺麗事を並べ立てた為にできた法律」は
北海道の現実には余りにもかけ離れていると私は思っている。
もっと技術が進んでから全面禁止にすべきでは無かったのか?
もっと研究が進んでから全面禁止にすべきでは無かったのか?
何故、其れが出来たないのにあの時其れほど急いだのか?
其の裏に何が在ったのかと其れを北海道民は
調べるべきだと思う。
あの時運動をしていた連中は何者だったのだろう?
そして何故真冬のスパイクを全面禁止にしたのだろう?
その理由を知りたい。
長い人生の中で首をひねる様な事が此の国は多すぎる。
「綺麗事や理想」を出せば現実を無視して良いのかと私は思う。
其の「綺麗事や理想の言葉」に私達は振りまわれ過ぎたのではないか?
もっと強く現実を理論的に説明すべきでは無かったのか?
「綺麗事や理想の言葉」を振りかざす連中を増徴させ過ぎたのではないか?
彼らにもっと非道な現実を突きつけるべきでは無かったのか?
ほっとけば彼らもやがて現実が解って来るだろうと言う甘さが
此の国をダメにしたのではないか?
彼らをもっと厳しい制裁を架せるべきでは無かったのか?
誰でも「綺麗事や理想」を掲げるのは簡単だ。
そっちの方が見た目が良いだろう。
だが、北海道のドライバーにとって真冬に其れは
余りにも残酷過ぎなかったのではないか?
其の残酷な中に北海道のドライバーを置いて
その間に現実の厳しさに直面して死んで行った人達への責任を
私は彼らに負わせるべきだと思う。
そうしないと何時までも「綺麗事や理想」を掲げて
現実の中でのさばって人の命さえも無視する。
其れはもうやめにしないと行けないと思う。