風邪ひいてます。
- カテゴリ:30代以上
- 2016/12/09 21:09:02
だから、BBCもCNNも見てません。
高血圧と糖尿病の病院も行ってない。
此の微熱と鼻水と喉の痛みで寒気とだるさと鼻水が喉に貯まって
むせったり、とても色々な所をチェックする気力が出ない。
寒さで体を膠着させている時が長いので
酷い肩こりである。
一応八百万の神様を信じているので神棚は在って
霊的な物を信じていて、
母方のお婆ちゃんが死んで49日の時は
何故か苺のパックが何個で幾らと安かったので
お婆ちゃんの49日と言う事は忘れていたのだけど
沢山買ってもちょっとだけ遠回りしてお婆ちゃんにお供えして貰おうと
寄ったら、49日だったと言う事でおばちゃんが誰か来るかと思って
家をきれいにして待っていたけど、誰も来ないとおもっていたら
私が来たと言う。
仏壇のある部屋から長い事ぜんそくで苦しんでいたお婆ちゃんの
聞き覚えの在る咳が聞こえて、
「あら?」と私。
おばちゃんは色々な不思議な事が在って
まだいるんだねとあっさりと言う。
そんな体験をこの歳になって色々しているけど。
だからと言って此のがちんこちんの肩こりが霊的な物で
お払いが必要とは思わない。
つるつる路面をあるくと肩こりが酷くなるのは
霊的な物より体に緊張で力が入っているからと言う事位は
此の歳まで生きていれば常識で解る。
寧ろ肩こりを直すストレッチの方が無料で
直る。
霊が付いていると言うのなら肩こりを直すストレッチで
離れて行く霊とは運動不足を指摘する元オリンピック選手の霊なのか?
其れとは別に我が家も親戚一同も交通安全もお守りは毎年購入して
車に付けている。
在日朝鮮人の知り合いが車に付けてフロントガラスにくっついて揺れている
「あれは何?」と私に聞いて来た。
交通安全のお守りの事を話すとあんな物で事故に合わないのならと馬鹿にする。
事故に合わないのではなく、もっと悲惨な事故なのが此の程度で済んでと
思うのが神を信じる事で、そんな感じである。
或いは「荒ぶる神」の怒りに触れたと言う感じで災害を乗り越えようとする。
其れは自分が不信人だからで無くても、
誰かが「荒ぶる神」の怒りに触れるとそれに巻き込まれる。
其れは自分の不信心が誰かを巻き込む事も意味している。
そして日本には八百万の神がいる。
お米の一粒一粒にと子供時代から教えられる。
あらゆるところに神様がいる。
なのに神道は「唯一の神」である。
農村に行けば「其の地方の神様」が居て豊作を願う。
都会に行けば「商売繁盛の神様」がいる。
其れでも「神は一つで唯一の神」で何の矛盾もない。
神様は唯一のかみだけど地方によって生活形態によって
人々が頼るないようによって姿かたちを変えて傍に居てくれる。
名前も姿も信仰する言葉も祈る為の形もかえて人々の傍により沿って
くれるので、其の地方地方の神社の沢山のお祭りがある。
姿かたちも名前も祈りの言葉も信仰の表す行動も日本全国違うが
雪国も田舎も気候も風土も違って名前も違うが
御神体は石であったり、男根であったり、御神木であったり、
仏像に宿ったり、其れは色々な形に其の地域によってかわって
奉るやり方も形態も言葉も変わってもそれは
其の場所で生きる為に人々が生きる為に求める物やすがる物によって
違うのは当然だとそれで心が救われるのなら姿形も祭の仕方も
祈りの言葉も違っても寄り添って心を救ってくれるのが「神」で
其れが「唯一の神」なのだ。
だから唯一の神であり、八百万の神なのである。
で、日本全土に神社があって、それぞれに重なってはいるが
神社の氏子のテリトリーみたいな物が在るけど、
其のテリトリーの地域の中にキリスト教の教会が在っても
無数のお寺があっても神社の塀の中にお寺が在っても
三が日に神社に行ってもお寺に行っても
神様は信じている人の傍に姿かたちも教えも祈りの言葉も
違っても其の人の傍に心の中に其の人の生きる空間の中に
いるので其の人を救うための一番良い形をしていてくれるので
其れは当たり前の事なのだ。
だから日本の神社の第一鳥居と第二鳥居の間が
凄く離れていて、昔は何もなく道が神社の本堂にまっすぐに
続いて見えたが、其の間にビルは建つし道は沢山に枝わかれするし
車道もバス停も住む人の便利なように病院の前とか
商店街の前とかに出来るし、
其の間のどこかにモスクを作りたいと言えばどうぞと言うことになり
近くに教会があって、お寺があって、モスクが在って、
更に結婚式場が先にできて其の敷地内にしゃれた教会もできて
結婚式の時にアルバイトの牧師役の人が来ると言う事も
許されるのである。
家には仏壇と神棚が在って、十字架の付いたペンダントをして
100円ショップでかった数珠をバックに入れて置いて
指にはどくろの付いた指輪をしてビヨの付いたベルトに
合わせるファッションをする。
信仰はと聞かれるとお盆はお墓参りに行くし、
お正月はお供え餅を飾って神社にお参りに行くし、
お祭りはあちこちのお祭りをやって居たら行って楽しむし。
一応仏教と生まれた時から神道に生まれるので
其れは神道に生まれるけど死ぬ時は仏教でお墓に入って
結婚式とクリスマスはキリスト教である。
更にハローウィンも加わったので其れも増えたみたいだ。
でも、法律は順守で道路交通法も
例えば今度は老齢社会になって其れに合わせた法律が出来たら
其れを順守する。
羊をささげるユダヤ教の儀式とアイヌは羊じゃ無くて熊祭りだし、
更に自然を大切にしなきゃいけないので貴重なまりもを
守る為にまりもを粗末に扱ってはいけないと自然を大切にする
教えの祭を作る。
もし、人々がどしゃどしゃと阿寒湖を荒らしてまりもを持ち去らなければ
まりもを大切にしなさいと言う祭りは出来なかった。
そうやって地域によって祭の形態が出来るのである。
それと金儲けの道具に信仰心をりようしたカルト宗教は違う。
其れは信仰心を利用した悪である。
其の区別はちゃんと付ければ八百万の神は「唯一の神」と
成るので日本は其の辺りを見極めて正しく「生きる」と
するのである。
そうしないと「荒ぶる神の怒りに触れる」天災が起きるのであり
だから「神を恐れる」ので在る。
で、イスラム教のモハメットの絵の事なんだけど。
イスラム教でモハメットの絵をかく事は許されないとする
信仰が在るのを解っていて、「表現の自由」と言う事で
書くのは「性質が悪い嫌がらせ」に感じる。
嫌がる事を態々して不快な思いをしかも信仰にかかわる事で
する必要もないだろうとは思う。
だが、それだからと言って殺す事は其の表現の自由が在る国に
住んで居ながらするのは許されないと思う。
例えどんなに過酷でも其れをすると殺される事が許される自分の国に
居なさい。
また、他の国に住んで居ても、信仰上其れが不快な行為だと思うのなら
其れを国際的に公的に抗議をすれば良いのである。
あの日本の夏の湿気と高い気温の中で
黒い布ですっぽり隠す格好をしたら、
体中あせもが出来て所謂カビ菌が普通に空気中に漂っているので
解りやすく言うと水虫が足に指から小股、脇の間
お尻、そして体中に増えて行って掻くと其処から体の内部に傷口から
入って行って体中に軟膏をぬっても
あの頭からすっぽりかぶる布を付ける下に
大量のあちこちに塗った軟膏の上から包帯をまいて
其の布を被る事になる。
此れって気候に在って無い信仰じゃないの?
更に過去の事例としてテロリストが顔を隠す布を
悪用したスタイルを信仰を理由に使ったとしたら
禁止する法律は作らざる得ないでしょう。
オウムのテロ被害で6000人にも犠牲者でて
今も苦しんでいる国民としては
其の法律は理解できる。
ご心配おかけしてごめんなさい。
北海道は随分荒れている様子。
身体ともどもお気を付けください。