死を受け入れる、満足するとは?
- カテゴリ:日記
- 2016/11/17 21:15:39
人間は欲に溢れていて、<満足>なんて
とてもとても。
それが普通です。
しかし、「ああ今日死んでもよいなぁ」と、思える人がいる事も
事実なのです。
肉体の死はいずれやってきます。
魂の死は<見えない力>によって訪れます。
魂の死が起きると<満足>できる心までも与えられます。
満足などするはずの無い人間に<満足>の心が与えられるのです。
そして因果律が悪であればあるほど、善を与えられる。
魂の死を悟りと呼ぶ人もいます。
悟っても、あなたは何も変わりません。
それはボクも同じです。
ボクはこの不思議な体験は最初、努力で何とかなると・・・
そんな風に思っていました。
悟りという不思議な体験はあなたが・・・あなたの本体が・・・
ちゃんと手順を踏んであなたが体験できるようになっています。
そのために輪廻転生を繰り返しています。
「ああ、今日死んでもよいなぁ」と、満足できる体験。
今日死んでもいいが、このしあわせを誰かに伝えたいなぁ。
そう思える日があなたにも必ずあります。
だからボクが伝えるのは
最後の神様の事だけ。
ボクという存在を何1つ変えずにそのままお救いくださった。
悪しか作れないボクをそのままお救いくださった。
ボク1人を救うために遥か永遠の時をかけて導いてくださった。
すべての事に意味はあった。
地獄へ真っ逆さまのボクをボクが落ちる地獄ごとお救いくださった。
ありがたや、ありがたや。
それでもあなたの悟りの役に立てればと書いてみました。
ここまで読んでさっぱり分からない方は
「自分らしく生きるとは何だろう」
「自分が本当にしたい事は何だろう」
そう問いかけてください。
人生を真面目に生きず、楽しむ義務がある事を思い出して、どうかあなたらしくあなたの人生を楽しんでください
執着は無くなりませんが・・・離れる?という感覚・・・が近いと思います。
執着していても・・・その執着が満たされる事が分かるようになる・・・
執着から自分の本音が理解できるようになる。
自分が本当は何を求めているのか。
理解できるようになる。
そうなると・・・「ああ、これが満たされるなら死んでもいいなぁ」
と、なっていく。そして何の努力も必要ありません。
そこに辿り着く道はちゃんとどの人にも用意されています。
オーダーを出しているのはあなた本人です。
あなたの本体があなたに理解できるようにオーダーしています。だからどうか死を迎えるその日まで自分の神という意識、本体を信じて日々過ごしてみてください。
よき発見はえめるさんのために。
私は結構、いつ死んでも良いような気がするけど、それは諦めに似ています
十分に生ききっていないから
未だ未だ生きさせられると思います。たはっ