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ハトははのニコタ日記


昔の人ってすごいよね

かぼかぼ・・

もらったステキコーデ♪:30

健在なり!佐藤愛子の“怒り節”

http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E5%81%A5%E5%9C%A8%E3%81%AA%E3%82%8A%EF%BC%81%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%84%9B%E5%AD%90%E3%81%AE%E2%80%9C%E6%80%92%E3%82%8A%E7%AF%80%E2%80%9D/ar-BBxdg2I?ocid=spartandhp#page=2


『九十歳。何がめでたい』(小学館)という佐藤愛子の本が売れているらしい。

1923(大正12)年の関東大震災の年に生まれた佐藤は今年93歳。
同じ年の作家に池波正太郎、遠藤周作、そして司馬遼太郎がいるが、いずれもすでに亡くなっている。

いまなお元気なこの愛子センセイと私が対談したのは、『サンサーラ』という雑誌の1996年10月号でだった。
ちょうど20年前だが、それより20年ほど前の経済誌の編集者時代、
私は出張校正に江戸川橋の印刷所に行き、ゲラが出て来るまでの間、近くの喫茶店で、
「non-no」連載の佐藤の「娘と私の部屋」を読むのを楽しみにしていた。若い同僚に冷やかされながらである。

“ソクラテスの妻”に納得

そう告白すると、佐藤は「幅の広い方でいらっしゃいますね」と笑ったので、私はこう続けた。
「読んでいて『なるほど』と思ったのは、悪妻の代名詞でもある“ソクラテスの妻”についてなんです。
『世に“ソクラテスの妻”は多けれど、げに、ソクラテスのなきをいかんせん』とお書きになっていた。
それは『もっともな話だな』と(笑)。ときどきその話を使わせてもらっています。
私の“怒り”とか“辛口”と言われる部分には“怒りの愛子さん”の影響があるんです」
「そうですか。うれしいわ(笑)」という答えを得て、私は彼女の『ソクラテスの妻』という作品に話を移した。

彼女がそれを書いたのは1963年だが、そのころの男には、いくらか“ソクラテス”はいたという。
当時、佐藤は「男は本質的にロマンティストで女はリアリストである。
本質が全然違っていて理解し合えないものだ」と思っていた。
佐藤の夫は“駄目ロマンティスト”で借金をつくり、家計とかを顧みない。

「女房として私はリアリズムで生きなければならないけれども、彼は彼の持っている理想だけしか考えないので」夫婦喧嘩の絶え間がなかった。
それで佐藤は、これは男と女の本質的な差でどうしようもない、と達観し、書くことで借金を返そうとする。

それを振り返りながら、「いまは多くの男もリアリストになりましたね」と言った。ため息まじりにである。

妻から見れば夏目漱石は悪夫

「“ソクラテスの妻”と“ソクラテス”の関係」ということで言えば、夏目漱石の鏡子夫人も悪妻だといわれる。

しかし、だからこそ漱石は小説が書けたという側面もあるのでは、と尋ねると、佐藤はこう言った。

「悪妻だから漱石は書けたというよりも、逆に、作家の筆にかかると悪妻になってしまうということもあると思うんです。
もの書きというのは、普通の人が見逃すようなことを見逃さないで、見てとるわけですよ。
だから、気に障ることが多いんですよね」

精巧なカメラを持っているということだろう。

「そうでないと、ものは書けないですからね。そういう眼を持っている人と連れ添うと、たまったものではないと思いますけれどもね。
漱石の妻が悪妻だったかどうか、妻の側から言わせると、
漱石は悪夫だったということになるでしょう、多分」と佐藤は言葉を継ぎ、
さんざん苦労をさせられた夫についても「いまは悪夫ではなかったと思ってます」と述懐した。

「達観の上にまた達観された?」と冷やかし気味に問うと、佐藤は「別れましたからね(笑)。
別れた者には寛大になりますでしょう」と静かに答えた。

「そうですか。なるほどね」と私が感心すると、佐藤に「そんなに感心することないじゃないですか」と笑われたのである。

枯渇しないエネルギー

“怒りの愛子さん”も70歳を過ぎてエネルギーが衰えると言っていたが、90歳を超えても、それは枯渇してはいない。

私が佐藤の怒りで一番共鳴したのはビートたけしに対するものだった。

たけしが自分の愛人の写真を撮った『FRIDAY』に、たけし軍団で殴り込みをかけた時、
横山やすしが「1人で行け、ドアホ」と怒鳴った。

その場面をテレビで見ていた佐藤の娘が、「ママと同じことを言ってる」と呟いたという。

「私は、たけしよりもそう言うやすしの方が好ましいですね」と言ったら、
佐藤は苦笑しつつ、「アホがいないんですね。
ビートたけしは頭がいいから面白くない。
醒めてるんじゃないですか」と言い、「私のように、単細胞だから怒るんですよ(笑)。
いろいろな知識によって、醒めている人が多いのでしょう」と続けた。

めんどくさくて角栄との対談を断る

佐藤の父は名を成した作家の佐藤紅緑であり、兄に詩人のサトウハチローがいる。
不良として鳴らしたハチローのところに、
「妹さんが小説を書いたけれども、それについて何か」と新聞記者が電話をかけたら、
「妹が小説を書こうと書くまいと、俺の知ったことか」と言われたという。

それを聞いてびっくりした記者が「喧嘩しているのか」と佐藤のところに電話をよこしたが、
「べつに喧嘩しているわけではなく、そういう家なんですよ」と佐藤は語った。佐藤の『血族』(新潮文庫)はその家について書いている。

若き日に紅緑の小説を読んで発奮したという田中角栄が首相だった時、
新潟のテレビ局から新年の番組で対談してほしいという依頼があった。
しかし佐藤は「なんとなくめんどくさくて」それを断った。
自民党の機関紙でという依頼も来たが、やはり断ったら、秘書に「やむを得ません。
でも、断ったことを新聞記者には言わないでほしい」と言われたとか。

川端康成がノーベル文学賞をもらった時のコメントにも驚いた。
朝の4時ごろ、新聞社から電話が来たので、起こされた腹立ちもあって、
「ノーベル賞、ノーベル賞と言うけれど、佐藤栄作でももらったものだから、めでたくも何ともない」と言った。

そんなムチャなコメントは出ないだろうと思ったら、そのまま載って、
読者から「さすがのコメントです」という手紙をもらい、仰天した。仰天したという佐藤に仰天するような逸話である。


私ももぅ昔の人だと思うけど、

もっと昔の人ってすごいよね。

寂聴さんが謝るわきゃないよね^^;

 




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