今までに命を考える色々な事がありました。
- カテゴリ:人生
- 2016/08/26 18:14:35
母が脳卒中で入院した病院で
息子が生命維持装置で十年以上だったと思いますが
其れで生かしている老夫人がおりました。
待合室とは別の手術室の前とは別の
特別な重傷な身内が待つ所で御見かけしました。
何度も御見かけするので気にはしていたのですが
私もそれ所では無く、話かけられてもそっけなかったと思います。
母の様態が少し持ち直してもしかしたら意識が戻って来るのかもと
期待した時に心のゆとりも少しで来た時は
其の老夫人は反対に私に冷たい態度で心を閉じてしまいました。
振り返れば何度か私に声をかけて居た様な気もします。
今も気が動転した居た数週間の時に誰と何を話したのか
思い出せません。
看護婦さんが私にご相談をして良いかと尋ねていたそうです。
気を貼って其れでも色々指図をしているのと
当時は年配の私に色々な人が指図を受けていたのを
見て居たそうでした。
自分でも何を言って居たのか解りませんが、
色々な人の指図や助言を貰って病院に詰めて
来た人に其れを伝えていた様に思います。
看護婦さんに其の老婦人が十年以上も生命維持装置を
外す決断をしないで意識が戻るのを待って毎日病院に
通って来て手足をさすったり声をかけたりしているそうです。
こっそりとお医者様に人様の事ですが聞いたのですが
意識が戻る可能性は非常に非常に低いそうです。
私から声をおかけした時はすっと避けられてしまいました。
其れだけ自分の事で精一杯なのも含めて
こんな時に知らない人が声をかけないでと言う様な
態度を取って居たのかも知れません。
やがて医者に回復の見込みが非常に非常に低い事を告げられました。
今の医学では生命維持装置を付けて居れば「生きている事実」は
其の装置に事故が無い限りは保たれるそうです。
ある意味私が死んでも母は其の状態で生きて居られると言う事です。
身内で相談しました。
此のままそうやって自分の子供にも引き継がせる様な状態になる可能性も
在ります。
其の決断を子供達にさせるのでしょうか?
私達の手で最後をみとる責任を取ろうと話し合いました。
其の話し合いには2親等まで加わって貰いました。
子供達にも母の兄弟にあたる人にも電話で意見を聴ける人には
連絡をしました。
貴方達がそれで楽になれるのならと言った注釈つきで意見を
言ってくれる人も居ました。
そして自分達の手で看取る事を決意しました。
母は子供達にも兄弟にも孫にも甥姪にも囲まれて
最後は子や孫に囲まれて息を引き取りました。
其の決断をする間の色々な人に電話で事情を説明して
其の人の意見を聞いている時の其の数日の間だったと思います。
其の私はどうしたら良いかを椅子に座って考えていました。
其の自分の状況に別けも解らない涙が唯唯出て来ました。
其の老婦人は私の横に来てより沿ってました。
私は身内に電話で言われた自分が看取って葬儀を出してあげる
事を何が起きるか誰も予測がつかないのに
誰かにさせるよりも其れをするのも子供の責任でもあると
言われた事など、
ポツリポツリと自分に言い聞かせる様に言いました。
母は80才でした。
十分生きたと言って良い年齢で苦労を子供に苦労を
かけさせるより自分の子供や孫の未来を思う気持ちも
在るのかも知れない、と言われた事。
私が母の立場なら子供に何を望むだろう。
80歳まで生きて来て子供に負担をかけさせたくないと
望む様な気も其の時した。
だが違うかも知れないと其の老婦人は言った様に思います。
では貴方が亡くなったら誰が息子さんを看取って葬儀を出して
あげるのですか?と私は聞いた様に思います。
其の老婦人は息子に会いに来る事が生き甲斐になっていると
自己満足と言われても、
今息子が傍に居る事が幸せと言いました。
まるで理解して欲しいとでも言う様に。
其の後老婦人は20代から既に40代になっている
所謂「植物状態」の息子さんをどうしたのかは解りません。
母の命も母が其れまで生きて来た多くの人との絆があります。
其れを例えば私の中にも私の子供達の中にも
母の兄弟たちの中にも、其の兄弟の子供達の中にも
其々の過ごした「時の空間」があります。
そして子供として背負わなければならない選択も
其れに伴う責任もあります。
母の骨をお墓に収めてやっと少し責任を果たせた様に
思ったのを覚えて居ます。
其の老婦人が私が多くの人の意見を聞いた結果を
話して欲しいと言うので言ったのを聞いて
自分の気持ちを私に伝えて、
私達の決断を聞いて
其の後はどうしたのかは解りません。
其の人にも多くの人が助言をしたでしょう。
其れでも選んだ道を歩んで居たのでしょう。
私達の様な人達を此の十年以上の間に何家族も見て来たのでしょう。
命とは何なのでしょう。
苦しみ、痛みとは何なのでしょう。
私はあの「女子高生リンチコンクリート詰め殺人事件」の時の
犯人の周辺の人達、マスコミの取った対応を許す事が出来ません。
そしてあの身障者殺害事件の犯人に対しても。
そして2015年の少年の川で泳がせてリンチして殺した事件の
親も含めた周辺の人達の対応も其れを許している
法律もマスコミも。
其れがまた今度の事件を起こしたと思って居ます。
高畑氏の親の責任を問い詰めるあれだけのマスコミは
何故「女子高生リンチコンクリート詰め殺人事件」の時に
其れをせめて紙面でしなかったのか!
あの2015年の少年リンチ殺人事件の時も
何故マスコミは高畑氏した事と同じ事をする様に要求しなかったのか。
社会的制裁を少年法で守られていると言うのなら
親が其れを受けるべきでは無かったのか?
そして生命をリンチで奪ったのなら
其の少年達は少年法で責任を取らされる親も含めて
家族で命への償いをすべきではないのか。
私は「性的犯罪」も含めたあの「女子高生リンチコンクリート詰め殺人事件」の
対応の間違いが今も続いていると思う。
もう、其の過ちを此の国から無くすべきじゃないのか?