脳活『為ブログ』474
- カテゴリ:日記
- 2016/05/29 12:29:26
今日はのんびりしたい。
毎週やって来る日曜日。今日は一日のんびりしたい。部屋の整理もしたい。31歳で戦死した父親の月命日。若い時に中国の地で他界した。心細かっただろう。戦争は反対である。侵略はする方が悪い。隣の家に入って、ここは俺の家だというようなものである。人間には精神の底に野蛮性を残している。文明は野蛮性を糊塗するためのベールでしかない。何かの拍子に精神の底に沈んでいる野蛮性がブクブクと泡立って出てくることがある。殺人や暴力がそうである。あんなひどいことをやる奴がいるのか思うような事件が発生する。精神のどこかに人間は残虐性を宿している。
道徳や倫理は鎮魂である。荒ぶる魂を沈めておくための、魂への誓いである。精神の底に潜む荒ぶる魂が暴れ出すのを押しとどめている。刑法は法によって、荒ぶれた魂の悪行を取り締まる法である。簡単に言えば、悪いことをすれば、何年間でも牢屋に拘束する。悪行の度合いによって刑罰の長さをきめている。それが目には目をで死刑まであるということである。だが、刑を執行したとしても、人の精神に居座る原始的な暴虐性の根源は消えるものではないから、犯罪はまた発生する。
犯罪は経済問題であるとする考え方である。貧困が無くなれば、所得格差がなくなれば、犯罪はなくなるという思考であるが、犯罪は政治経済の問題ではない。犯罪の契機にはなるだろうが、主因ではない。犯罪は精神に宿っている。戦争という大量無差別殺戮は銃を撃つ、爆弾を投下する精神的行為に問題がある。双方に撃ち方止めろと宣言して、本当に撃たなければ、戦いはそこで終わる。だが、終われない腐った魂があるのだ。この精神の浄化をしない限り、引き金を引くだろう。
子供の頃父親の本を読んで人間の残虐さにすごくショックだったのを
覚えています。