脳活『為ブログ』443
- カテゴリ:日記
- 2016/04/29 17:05:29
泥棒がこそ泥に入られる。
泥棒の家に、こそ泥が侵入して泥棒が大事にしていた盗品を盗んでいった。盗人の上前を撥ねるということである。政治家の隠し財産を秘書が持ち逃げした。詐欺師が素人の甘言に騙された。この種の話の被害者はあるのかもしれないが、公にはならない。松本清張が『告訴せず』その他の作品で巧みに描いている。これは盗人が戦利品を巡って争いになり、仲間割れして殺し合いをするようなものである。
こうした論法の裏返しとして貧乏をしていても見栄を張りたいということがある。
見栄と矜持(きょうじ・意味としてはプライド)の微妙な違いが生活の中であることは確かである。見栄は外見である。うわべを飾ることだ。これは演技なのである。生のまま実態をさらけ出せばいいが、そうはいかない。俺にだって見栄はある。知らなきゃ言って聞かせましょう。実際、親戚付き合い、友達付き合い、地域や組織の付き合いがある。同窓会なんかには行かない。自慢の泥試合に付き合いたくない。
成功した奴の話はやっぱり自慢になる。それにつき合わされたくない。俺にだってプライドがある。そうかといって、現実という事実はある。だから、年取ると面倒な世界から離れたくなる。もう、見栄を張る気力もない。閉鎖的な唯我独尊の裏返しになっていく。私のように一種の御託を並べて、理論的根拠のない蘊蓄を垂れて自己満足する始末である。ところが、近頃は認知対策として蘊蓄を傾けることによって脳を活性化するという戦法が認められつつある。小生は、この流れに乗って、勝手なことを言って、気力の栄養にしようと思っている。悪しからず。悪意なし。
じゃぁー、言ったモン勝ち!、やったモン勝ち!、 ざまーみろ!なのか。
つまんなくて、しょーがない。