会いたい友人は誰かな
- カテゴリ:友人
- 2016/04/28 14:05:07
本日よりGW突入!!という人もいるようですが、サクヤはというと・・・・本日は年間通していつもの休みであり、そもそもGWというものは存在しないのであります
接客販売業にはむしろGWこそ繁忙期であり、会社側からしたら「出てこいやっ!!」なわけで、この時期になるとニュースでも今年のGWは最高何連休だとか帰省の混雑渋滞だとかを眺めては「そんなの関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!!」と叫んでいる始末
まあ、正直サクヤは中途半端な数日の休日というのは苦手で、というのも初めは確かにワクワクウキウキですが、休みの最後一日になると、もう憂鬱も憂鬱「嗚呼~もう休みが終わってしまうぅぅううう」となるからです
なのでだったら初めから中途半端な休みはいらないとなります
いやはや悲しい大人になってしまいましたよ
というわけで前置きが長くなってしまいましたが、え~っとタイトル何でしたかな!?
つ・ま・り!!友人達との休みがなかなか重ならないというのがあるのです(話を無理やり繋げてやったぜ)
といっても、サクヤの友人のほとんどが地元ですし、割と近くに住んでいるので会おうと思えばちょくちょく会えるのでした
前にも話したことがありますが、サクヤは九州で生まれ、そこから三重県、さらに岩手県、そして今千葉県となかなかの日本横断転校生活を過ごしてきました
その土地土地で仲良くなった友達はいましたが、流石に未だ連絡を取り合っている仲の人はもういません
懐かしいな~と感傷に浸ることもあるものの、もはや会ってもあまりに風貌が違い過ぎてピンとこないかなと思うわけです
学校の卒業アルバムもあることにはあるのですが、ここ十数年見ることもなくなってしまいました
というか今回のお題を見て考えないと、普段意識もしない過去のこととなってしまっていました
う~ん、何か残念な気持ちですが・・・そう・・敢えて今回のお題で会いたい友人を挙げるなら、幼少期仲良く遊んでくれた子供の頃の友達と会いたいな~なんて思いました
もちろんサクヤもその当時の子供のままの姿で・・・
本当に色々な知識をありがとうございました
また機会があれば盛り上がりましょう♪
京都だと、梅宮大社が有名で、瓊瓊杵尊とともにお祀りされています。近くには、松尾大社や苔寺、北へ上がると嵐山の風景もあり、いいところです。太秦を中心に、秦氏の古信仰と関係があるところが多く、一日、のんびり暮らしたいところ。
進化の観点からいうと、生物の進化は、その場その場の環境を巧みに利用した偶然の産物ですが、しかし、地球誕生後約47億年、生命の誕生からも30数億年たってみると、その道筋にある種の必然というか、「意志」のようなものを感じるものです。うまくできています。実際は、非常にシンプルな自己複製のルールに、少しだけ、エラー(突然変異)や組み換えを許す、という簡単な仕組みで成り立っていて、ただ、どのようになっていくかという大きな目標や枠組みは一切、ありませんから、で、いろいろなことが起こる仕組みになっています。ルールは簡単だけど、あらかじめどうなるかは一切、天下りに与えないことが大切なんだな、と思います。(こちらは専門に近いので、慎重に話しています。)
歴史は素人の横好きですし、古代史は(特に、日本史は)資料がほぼ、ありませんから、気楽に想像を楽しめます。でも、個人的には、そんなに外していないんじゃないかな?と思ったりしています!だから、楽しいんですけど。
じゃあ、またね!!
もし、梅宮とか訪問されたら、感想とか書いてください!!www
益々知識を得られますぞぉ~、この手の真実とは違った想像や空想の領域はどこから発祥したのか!?いやどこまでが事実でどこからが・・と考えると奥深いモノがあります
今現在でも苦しい時の神頼みなんて考えてしまう時がありますが、はるか昔の人達も苦しい時にすがりたい者を偶像として神という存在を精神的な中で生みだしたのかもしれませんね
自然現象、災害も含め今はもうそれは神の仕業であると考える人はほぼいないでしょうが、解明されていなかった時代、目に見えない存在を見出すのも必然だったのかなぁ~なんて思うわけです
話が大きくなりますが、何故私たちはこの地球という星で生きていられるのか?「いる」「ある」が当たり前すぎてついつい考える機会もないですが、ふと何から始まったのか・・なんて妄想するのが大好きなサクヤであります
神戸には、ずばり「木花咲耶姫神社」がありますね!!www 小さいものですが、感慨深いものですよ!ぜひ、お訪ねください! ↓
http://yaokami.jp/1280301/
#以下、独り言
私自身は、天皇家そのものは、2、3世紀か、それ以前に、新羅か新羅系伽耶あたりから、葛城氏、巨勢氏、物部氏、蘇我氏などの祖先とともに、越、北陸、諏訪、名古屋あたりを伝って、奈良盆地の南端、明日香村あたりに住み着いたグループの一団だと思っています(勝手な思い込みなんで、証拠出せ!って言われても無理!)。九州には、別の一団があり、たぶんそれは百済系かそれに近い人たちで、5,6,7世紀あたりは、それらとの争いがあり、半島の方の情勢も手伝って、いろいろややこしいことがあったのでしょう。中臣氏を継いだ、藤原鎌足は、百済系、それもかなり偉い人だった可能性が高く、半島でほろんだ故国を忍び、列島では、融合と継承を外戚という形で築いたんじゃないかと思っています。
日本書紀の神話の部分、神功皇后の三韓征伐や神武東征などの部分は、藤原氏の経歴に傷が付かず、それ以前の豪族が悪者になるように、不比等が編纂させた可能性が高いと思いますが、まあ、結局のところ、証拠はないし、楽しく、想像するのみです。
天智は、九州の勢力を抱き込み、天皇を継ぎましたが、大海人皇子の方が、尾張、北陸、越系の正当で、で、壬申の乱!っていうストーリーがそれっぽい
実際、天智は、滅んだ百済のために、白村江まで、出兵してますし、また、壬申の乱では、大海人が、名古屋方面に逃げた!っていうだけで、大友側は、「もうだめぽ!」って腰砕けてます。
三種の神器のいくつかは、尾張の熱田神宮にあるし、継体っていう天皇も、越の豪族とかいうおじいさんを応神5世の孫とかいって、わざわざ連れてきている奇異も、そう考えると腑に落ちる気がしています。藤原氏は、半島で本国が滅んでいるだけに、慎重に権力闘争を進め、現在にまで至る盤石な基盤を築いた!っと思っています。財務相の麻生さんも藤原氏の正当(の末)ですが、九州財界の巨人の一家でもありますよね!w
ただ邪馬台国は、どっちだったかは、よくわかりません!?!?個人的には、大和派です!wwwwwww
どうやら発祥は大阪で何やら祭られている神社?が実際にあるようです
一度は行ってみたいですね~ちなみに話す時や日記の口調で大阪弁を多用しますが一度も行ったことがないという、にわか者であります!!
そのおふたりは天皇の始祖とも言われる神様ですからね~恐れ多いであります
といいつつ木花咲耶姫の名前が好きでよくアバター等のキャラ名に使わさせて貰っています
夫であるニニギ君も仮名で瓊瓊杵尊から拝借しておりますよ~