Nicotto Town



誤読の自己満足 誤訳の楽しみ


文学や芸術には正統・王道の解釈や受容というものがございますね。
古典文学や思想書ではコレが顕著、作家論や解説書を渉猟することになる。
ところで、誤読の帝王たる私は自己流の解釈というのも大切だと思っています。

春の詩、というのが好きです。春とは訣別と死を内包した邂逅の時だと思う。
誰のだっけ……『重い足音が……通り過ぎました』というヤツ。
この詩、まるで右傾化する世に怯えた悲劇の前兆、のように私には響く。

T・S・エリオットもけっこうスキです。
四月は残酷な月、ってヤツのイイところは、
無邪気に呈示されたクルエルという語の持つ死への傾斜に感じられる。

また誤訳、悪訳の類にもオモシロイやつがいっぱいある。
初めて読んだものが誤訳だった場合、けっこう誤訳による刷り込みがおきる。
ヘミングウェイの諸作だと、古い誤訳でイメージが創られていて修整不能なモノも。

あまりにも有名な『老人と海』の『Loud aloud』について。
出版から暫く経って、世間の英語屋は口から泡を飛ばして福田氏を糾弾した。
でも……何度も繰り返される「老人は大声でいった」という表現には韻律があった。

老人と海の映画版はスペンサー・トレーシー主演であったが、
確かテレビ版でグレゴリー・ペックがやったのもあったはずである。
海に出てデカイ声でブツクサ言う田舎の漁師としてはペックのほうが適任かも。

シェークスピアも福田氏訳でインプットされている。あのリア王には泣いた。
碩学な方はあえて不器用かつ無骨な訳をするのではないかな。
透明な、解釈の余地を残そうとする逐語訳や無骨な訳には共感する。

角川の文庫で片岡義男氏がビートルズの訳詩を出していた。
正に逐語訳の嵐。あえてそうしたと語っているが、非常に納得できる。
中期以降のナンバーで大変効果的、今でもごくたまに引っ張り出します。

臨済録の初期の岩波版、朝比奈氏の乱暴な意訳も評判が悪い。
のちに別の方が訳しなおして、「○○という解釈は誤り」という注を山ほどつけた。
でも勢いや臨済の破天荒さは昔のほうが優れている気がする。破戒僧的イメージ。

まあですね、誤謬を集めて煮詰めたような私なので、自己弁護なのです。
でも大らかさというものは大切にしたいな。真摯に行った解釈は等価だと思うから。
大らかさはユーモアに、自らを笑うという好ましき人間性に繋がると思うのです。

本日は朝から古アンプをバラし、部品を探すついでに買物に行く予定。
騒がしい世情に、ふと深沢七郎を思い出した。彼の現代的な意味は大きいと思う。
よし探そう。あの人の『風流夢譚』後の人生は駄目ギター弾きの手本である。




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