Nicotto Town



女性と戦争 子どもと戦争


スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの2冊には複雑な思いがあり、まだ買っていません。
『戦争は女たちの顔をしていない』と『ボタン穴から見た戦争』。
必読の書であるという想いと、当たり前のことの記録にすぎぬという想いの交錯が原因。

どちらも真実の持つ恐るべき冷酷さと悲惨に溢れています。
女性狙撃兵が人殺しに慣れていく過程、目の前で家族を殺された少年のその後……。
訥々としたシンプルな手記の体裁が誠に効果的。戦争とはこういうものだと思う。

じつはすでに2冊とも読んでいる。人に勧めるために買うか悩み、まだ買っていない。
その理由を考える……私はすでにこうした話を山のように聞いて育ったためである。
満州帰りの義足の小父さん、洋パンだった女性の友人、慰安婦、特攻隊生き残り……

ルポにノーベル賞を与える必然性があったのか。あったのだろう。
これは文学なのだろうか。人が人でなくなっていく過程の記録は文学なのか。
うーん、どうも引っかかる。これは歴史として、口伝として口承されるべき内容ではないか。

現代の創作物における戦争表現に欠落している『リアル』の恐怖。
それを補完する書物として必読だと思うのですが……心理的抵抗がある。
ポンと渡すのではなく、私は爺婆から聞いた「あの事実」を語るべきなのである。

私がこの世に生を享けたのも僥倖の結果である。
オヤジが空襲で生き残りオフクロが機銃掃射から逃れられたから生まれたに過ぎぬ。
幼い二人はその時死に触れた。死と生は表裏一体で不可分なものである。

髪の毛の焼ける匂いを年寄りは忌避する。物凄く分かる。そういうものだろう。
そうした経験を持つ人間がこの国にはゴマンといる。あの国にも、向こうにも。
たった今もその現象が起きており、その記憶に苦しむ人々が満ちているのです。

いちばん腹が立つのは、この2冊を図書館に置き、必読の書として勧める怠慢。
これを読ませて「戦争は悲惨ですよねー」なんて結びで締めくくるのは冒涜である。
そうじゃないと思う。人が人に悲惨を伝えるべきだと思う。生の言葉で。

私は「ライブ」にこだわりがある。音楽とは「今」にしかないと信じている。
詩人とコラボした時期がある。高齢者の戦争体験とコラボしたいと考えている。
訥々とした回想に私の心象を乗せて、今として発信したいと思う。

……朝から暗くなってしまいました。なかなか難しい問題なのです。
今日も本屋に行き、眺め、売れ残っているのを確認しておそらく買わない。
意地になっているのかもしれない。戦争の悲惨が普遍であるという事実に対し。





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