震災から⑤年かぁ (*´-ω-`)・・・
- カテゴリ:イベント
- 2016/03/11 21:42:08
なんで今日は こうも震災の話ばかりなのか ? と思っていたら…
3.11 かい Σ( ̄□ ̄;)ノノ というのに、やっと気づいた (← 仙台市民) しかも昼過ぎ。。。
だって朝から忙しかったんだも~ん。バタバタで~。
過日、途上国の職人をせっせと受け入れて、技術研修とかさせて一人前にして…
という夢を描いている土建屋 (本社仙台市=もちろん被災企業w) のオッサンに出会った。
なぜ そんなに熱心に !? と聞いたら、東日本大震災で めっちゃタイヘンなメにあったから… だそうだ。
東南海なんちゃらだの 首都直下型なんちゃらだのが起こったら、
少子超高齢の日本はもう間違いなく 日本人の手で復興なんか出来なくなる。だからこそ の先行投資。
今後、万が一のことが起こったら、どうか日本を助けてくれ。我々の子孫を助けてくれ… と。
技術研修の受け入れに、そんな願いを込めているのだと言う。
いい男だわ~ (〃▽〃) と心底思った。オッサンだけどw
首都圏が自粛ムードで夜の飲み屋が閑古鳥… というニュースが流れるなか、
仙台の繁華街は大繁盛していた。
体内にガスがたまり日々 破裂する遺体を、雪解け水で清め続ける葬儀屋…
がれきを撤去し支援物資の通り道を作る作業中、心ならずも重機で遺体を砕き罪の意識に苛まれる建設屋…
浴びるほど酒を飲まんと眠ることも出来なかったオッサンたちが山のようにいた。
棺桶探しに奔走した地元業者に応え、いの一番に棺桶を大量輸送してくれたのは、四国の企業だった。
給水車を運んできた京阪神の行政マンは
ひたすら作業をしながら 「自分が生きているウチに恩返しが出来た」 とつぶやいた。
ガスも電気も水道も使えない、スーパー被災で 食材も手に入らない中、
子どもが恥をかかない弁当を… と泣きながら台所に立つ母は そこいらじゅうにいた。
その一方で、わが身を嘆き、被害者意識丸出しで地元民からヒンシュクをかった人も少なくない。
全国ニュースには、こういう人が悲劇の人として数多く取り上げられた。
遠方から見ている震災と、近くで見ている震災は全く違う。
遠い場所に住んでいる人には、嘆き多い現実を見せておいたほうが 悲惨さは伝わりやすい。
近くでは震災をバネにガンバっている人を見せておいたほうが励みになる。
震災は、そんなことを学べた機会でもあった。
⑤年、もう… と言えばいいのか、まだ… と言った方がいいのか。その判断はイマイチつけがたい。
でも⑤年が経ったんだと、なんとなく思った。
もう… もしくは、まだ… と言えるのは、もう少し先のように思う。
余談。
震災の日、雪が降った。その後も寒い日が続いた。
もし真夏だったら、遺体の腐敗は… ばい菌の繁殖が… 病気がめっちゃ流行したり !?
そんな二次災害もあったかもしれん。
雪が降るくらいの寒い時期で本当に良かったよね~ (*´-ω-`)・・・
それが 「不幸中の幸い」 と地元で言われているコトのひとつである。
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かなり詳しく具体的な情報が得られて、なんだかなあと思った覚えがあります。
もちろん遺体の写真もごまかしなしでたくさん。
特殊なニュースだから知らない単語も多くて読むのに苦労したけど、読んでよかったと思えた…
暑い時期よりは、まだマシだったのかなぁ?
当時、大阪市内に住んでたけど、爆睡してる時間にドーンと突き上げられ
何が起こったのか分からないまま、ただ布団を被って様子見……
揺れが収まってからTVをつけたけど、大きな地震があった事しか分からない
段々と夜が明けて、各TV局がヘリを飛ばして中継されると、とんでもない事になってた@@
瀬戸内海だから津波が起きなかったことは良かったけど、ビルが倒壊して火事が起こって
やっと街だけは元に戻り、でも被災した人の心は傷が残ったまま……
東日本は、もっと範囲が広いし、津波の被害は甚大だし、まだまだ時間がかかるんだろうね><
ビデオの再放送かどうか、憶えてないのですが、あの車らは逃げることが出来たのでしょうか?
その日、遠く離れた九州で、大きな地震があったらしいという事が、聞いたのですが。
TVを見るまで、そんなに大きなものとは気がつかず、あまりの事に絶句でした。
もう7年もたったのですね><
テレビを見たらツナミ
どんどん時は過ぎて自分は歳をとっていく
そんな感じ
テレビで大げさに扱われてる感動話の裏というかいや、そここそが本来のオモテなところ
こうして拝読して良かったと言っていいのかどうかはわからないし駄目かもしれないけど
7年経とうともまだまだ復興半ばって感じもするし
感情よりも現実、記憶は無いけど赤ん坊の頃住んでいたこともある街へ
行ってみたいなと思っています。
人間は人間の遺体を見るのが一番怖いのだと思います
大切なことですね 自然に還るのですね
ありがとうございます (。- 人 -。)
なんと言って良いのかわかりませんが、人間は強いなと思いました。
私の地域もいつ大地震が来てもおかしくないとずっと言われ続けている所です。
その時が……ずっと来ないのが一番良いに決まってますが、少し元気づけられました。
やっぱりうまく言えませんw
なんと言葉をかけていいのかわかりませんが
和さんが日付を忘れてしまうくらいの被害ですんで
本当によかったなと思います。
遠くから見る震災と、近くで見る震災はまるっきり違うでしょう
全く経験の無いことを、想像してみたってカケラも合う部分は無いだろうと思う
今日は震災関連の番組も結構やっていたけど
何て言うのかなぁ
津波にのまれて生還した人が、家族を助けられなかったという痛みをも持っている
家族の事が無かったとしても、津波にのまれたという事だけだって
夜中に飛び起きてしまう様な、恐ろしい体験だろうと思う
いつまでもいつまでも震えが止まらない様な事だろうと思う
その上…なんだよね
和さんが言う様に、遺体を扱う人たちの精神的疲労だって
いつまでもいつまでも消えない記憶だろうと思う
何故こんなことが起こるんだろうね
私にはさっぱり分からない
結局は分からない
もう起きないでほしい、と願うことしか出来ないんだよね
生きるって
辛くて大変な事だ