戦後文学としてのSF
- カテゴリ:小説/詩
- 2016/02/27 09:16:21
ちくま書房から、日本SF作家クラブが協力した2冊の文庫が出ています。
『あしたは戦争』『暴走する正義』という2冊のアンソロジー。
編集に山野浩一氏が関わっているようです。未読の方には消極的にお勧めしたい。
消極的、と書く理由は、1945年8月15日に終わった『現象』の捉え方が、
現代大きく変わろうとしているからです。あの『現象』は何だったのか。
私は体験していないし、『現象』を正しく解釈する能力もおそらく欠如しています。
戦後のSF作家の多くが戦争体験をベースとして創作を開始しています。
彼らにとってアレは惨劇であり、二度と戻ってはいけない地点に見えたのです。
それを発信しようという意思が、当時のSFには溢れていたように感じます。
純文学畠の作家は、戦争を個人の問題として捉え消化する傾向があった。
SF屋は人よりも『社会』を描くため、このジャンルを選んだように見えました。
科学の進歩と共に人の認識も善き次元にステップアップするという幻想もあった。
テクノロジー進化に伴う人間の認識変容が中心となった現代SFに比べ、
古臭い作品ばかり、プリミティブなメッセージばかりです。風俗も大きく異なる。
でも彼らが発信した内容に心を揺さぶられた世代もいます。私もその一人。
書店に積まれた2冊のタイトルを見て、唇の端を持ち上げた。
嬉しさもあったが、大半は自嘲的な笑いであったと思います。
こうした本を出さざるを得ない『今』を作った一人もまた、私なのですから。
若松の作品には、避けて通れないものがありまして、結構カブレました。
60年代末の空気と問題意識をそのまま維持し続けた監督だと思うのです。
連続射殺魔、あさま山荘、阿部薫と鈴木いずみ……どれも私には大切、でも人には勧めにくいジャンルです。
芋虫は知ってます。
映画になったなーと思って調べたら、若松孝二監督という方が
ヤクザから映画監督ってすごすぎ‼︎