Nicotto Town


サファイア


2.26事件から80年


2.26事件から80年

1936年2月26日~29日、国家改造を目指す
陸軍青年将校が陸軍部隊を率いて反乱し
クーデターを試みた事件です。

26日早朝の蜂起後、27日東京に厳戒令がしかれたが
28日反乱部隊は 騒ゆう部隊とされ,原隊復帰の
奉勅命令が出されたのです。

皇道派ー天皇による新政を望み、その為には武力を
持ってしても、それを邪魔する者たちを排除すべき・・・



統制派ー合法的に政府に圧力をかけ、自分たちの
望む政治体制を実現させようとする・・・。



事件を起こしたのは,皇道派 そして天皇の命により
統制派をはじめとする軍部によって皇道派は一掃
されるので、以降統制派が力を付けていく事になる
のです。



昨日25日 記載、なんとなく観てしまうテレビの続きです。

首相の身代わりで銃殺された遺体は別のお部屋に
安置されておりました。

岡田啓介首相は女中さんの部屋の押入れの中で

出るにでられず・・・。

秘書の方は思案にくれておりました。
統制派の軍に連絡しても、警備が厳重、新式の銃を装備
手に負えない状態で有る、
動くことが出来ないとの返事です。

押し入れも前で鎮座して動かない二名の 
女中さんに 「どうかね」と尋ねると「大丈夫でいらっしゃいます」。

秘書の方は 此の答えで首相は押し入れの中で、

元気でいると解ったのです。

しかし、反乱軍の見張りが厳重でどうにもなりません。

その頃、首相の弔問に行きたいと願いでる方々が多く

出始めておりました。

統制派の軍隊も 女中さんから首相はお元気にしております。

とお話が電話で伝わっていたのです。

しかし押入れから出す手立てが見つかりません。

最後の手段として弔問客に変身して脱出することになりました。

喪服の着物を用意 なんとか着替えが押し入れの中
で出来ました。

いよいよ弔問客が数名づつ、遺体の首相のお部屋に
通されて行きました。

見張りの隙を狙って部屋から出るのも大変です・・・。

秘書の方と軍の方が抱えて 首相はやっと立っておりました。

見張りの方には具合が悪くなったと騙しておりました。

迎えの車で無事その場を脱出することが出来たのです。

岡田啓介首相はその後政界をおりて,

80余歳まで生きたのです。
 

 






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2016/02/28 15:03
コメありがとうですヾ(✿❛◡❛)ノ
社会は教科の中で一番苦手です(*´ェ`*)テヘ
でも、頑張ってお勉強します^^
アニメで戦国時代の武将(織田信長)のお話があって、
とっても面白かったです。でも、どこまでが真実なのか
よくわかりませんけど・・\(^o^)/オワタ

それでは、またです(*´∀`*)
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2016/02/27 11:43
都会と地方の格差が原因って聞いたことがあります。
それ以上は知らないけど(*´ェ`*)テヘ
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2016/02/27 06:01
歴女でもあるんですね。
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2016/02/26 23:03
|ω・‘)やぁ。
歴史は・・面白いです(○ゝω・)b⌒☆NE!
もっと・・日本の事・・ちゃんと知らなければ・・。
こんな時代だから・・余計・・そう思います・・。
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2016/02/26 22:12
サファイアさんは、いろいろと知っていますね。すごくいいことだと思います。
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2016/02/26 22:05
一国の首相たる者は、簡単に死んでは
いけないのですね。
よくあの中を生き残ったと思います。

近代史はまだ公にできない事もあるらしいので、
判断がむずかしいです。



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