覚悟ができているか
- カテゴリ:日記
- 2016/02/11 20:46:23
今日、古くからの友だち、ラーメン屋のオヤジから電話があり、年末の忙しいときに突然病気に。真夜中に救急車を呼び、搬送された病院院で応急措置。家に帰るも、3時間でさらにひどい痛み。家中の痛み止めを飲んでもさらにひどくなり。四国八十八カ所のお遍路さんの衣装、いわゆる死に装束を枕元に。
幸いにも、5日間の入院で手術も成功したとのこと。
また、人生観が変わったとのこと。
友だちは失いたくない。もちろん、ラーメンも大事だよ。
いろいろ考える。
自分でラーメンを作るか。
スターウォーズを見た。10年ぶりか。
いろんな人がいなくなっていく、思い出だけを残して
それと、重たい荷物を残して。
明日への希望。それは、毎日新しくされて、輝いている。
簡単ではない。それほど単純でもない、しかし、じっと静かに、
渋谷のハチ公のように、
ひたすら待つこと、焦らず、あきらめず、楽しい思い出をさらに膨らませて
どこか遠くに、すっと遠いところに、まだ知らないステキな場所があると思っていた。
でも、それは間違い。勘違いでもなく、明らかに。
今、いる場所
ここ、ここが自分のいる場所、過去でもなく、未来でもなくも、まして、どこか遠いあこがれの地でもない、
もし、ぼくの悲しみを、寂しさを、だれかに話しても、結局、傷つくのは、いつも
ぼくのこころ、
ぼくの居場所は、夜明け前の星空に、凍えながら走るところ。いつまでたっても、暖かくならない
こころに、傷を持っている人は、たぶん優しさを持っていると思う。
悲しみを持っている人は、喜ぶことを知っている。
大きな心を持っている人は、ちいさなこころを優しく受け入れて、あたたかい心で包んでくれる。
明日も、ニコタのみんなに元気を届ければうれしいな。
それだけが人生かどうかはわからないけど、
別れが他者との関わりの、
本質的な領域に在ることは疑いないように思えます。
生きてきた歳月の数だけ、さよならの数。
わたしも幼いころ
「どこか遠く」に未知の美しい世界が待っているのだと、
根拠なく思いこんで期待を抱いていました。
でも、そんな場所、どこにもありやしない。
待っていてくれる誰かなんて、いやしない。
過去でも未来でも、乳と蜜の流れる遥かな地でもなく。
いま、ここ、寒さに震えて怯える自分の立っている、
この場所だけが自分に与えられたもの。
それ以上でも、それ以下でもない。
それを知るのが「大人になる」ということなのかもしれません。
孤独も哀しみも、とてもとても個人的なものです。
言葉の本来の意味において、
誰かと、それらを「わかちあう」ことは不可能な営為のように思えます。
でも、いえ、だからこそ、でしょうか。
対岸で凍えながら走っている、
誰にも交替不可能な、平坦な戦場を生きている友に、
いま、ここから、手を振ってエールを送りたくなります。
そのくらいのことは、わたしたちに許されているはずだし、
人生に、そのくらいの価値はあっていいと、切に思っています。
夢の中で声が聞こえるのは、こころのささえとなってくれているようですね。
優しいことばありがとうございます。
あるのは、今の時間ですね↑そのとうり、未来はまだ来ない時間なので自分の思い一つで
変えることは出来ると思ってます^^過去は変えられませんし、過去ばかり見ていては
前に進めませんが、色々な方の思い出はいっぱいあります^^とりわけ去年亡くなった
子供の事は、悔やまれてなりませんが、なぜか泣けないでいます。。。
夢の中で子供の声がはっきり聞こえましたのは、観音様がしっかり生きなさいといってるよって。。。
何時も心に誓っていえるのは、本当の優しさを持てるように心がけていますが^^
優しさをもらってるのはいつも、自分でした^^