少し調べれば解る此れだけの出鱈目ぶり
- カテゴリ:30代以上
- 2016/01/30 17:31:20
何も何年も幾つもの資料を調べなければ解らないのではない。
過去のあちこちでの発言は残っているのである。
新聞でも講演会の映像にでも幾らでも残っているのである。
それらは調べる事は此の時代に容易に出来る事である。
何故其れをしないで根拠ない出鱈目をマスコミはまるで真実の様に
報道するのであろうか?
それらのマスコミは何故真実を調べないのかを我々に説明する
責任があると思う。
世界のマスコミは今回の「日韓合意」に関して此れだけの
根拠の無い出鱈目を報道したのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=93x0bSjqm...
↑
彼らは訂正記事を書く必要がジャーナリストとして在るだろう。
韓国の自称従軍慰安婦の出鱈目ぶりは少し調べれば解る事である。
何故其れをしないのか?
其の説明も我々にしてもらう必要性がある。
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李容珠(イ・ヨンス)
ナヌムの家に住む従軍慰安婦 「李容珠(イ・ヨンス)さん」の証言
http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/31823357.html
1.1993「写真記録 やぶられた沈黙」では、1944年夏、友達が家に誘いに来てついて行くと、軍服みたいな服を着た男がおり、ワンピースと赤い靴をもらって感激してついて行く。
2.1993・10「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」では、一九四四年、私が満十六歳の秋のことです。川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。赤いワンピースと革靴の入った包みをもらって、幼心にどんなにうれしかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座についていくことにしました。
3.英文中国日報(1998・.8・23)では、1944年のある夜、韓国の故郷から日本軍により誘拐され、日本軍の性奴隷として足かけ3年間従事慰安所に送られた時はわずか数え年16歳であった。
4.元「慰安婦」へ補償を~日本共産党との会合 (2002・6・26)では、14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話し
5.「消せない記憶」~京都での市民集会李容珠 (2004・12・4)では、1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。
6.京都新聞(2004・12・5)では、16歳でわけが分からないまま連行され、1944年ごろ、旧日本軍に拉致され、台湾で約3年間従軍慰安婦として
7.証言集会~同志社大学(2005・4・21)では、女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。その時、私は韓国の年齢で16歳でした。
8.朝日新聞(2005・8・11)では、韓国の大邱から15歳ごろ連行された。
9.埼玉上田知事発言に元慰安婦が抗議(JanJan 2006・10・13)では、15歳で韓国・大邱の家から軍人に拉致され、台湾まで連れ去られ、敗戦で解放されるまでの3年間の経過を証言した。
10.中央日報「米議会で初の‘慰安婦聴聞会’韓国・オランダ人女性3人が証言」(2007・2・16)では、1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行され
11.イヨンスさいたま公聴会(2007・2・23)では、15歳の時、家で寝ているとき小窓をたたく音に目を覚まし
12.JANJAN「米公聴会でも証言した李容洙さんが、埼玉で再び「証言・告発」(2007・2・26)では、15歳のとき、小銃で脅され、大連から、台湾に連行され新竹海軍慰安所で特攻隊員の慰安婦とされた。
上記は「李容洙」の証言の一部ですが「共通」しているのは「1944年」だけで、慰安婦になった「状況」も違えば「年齢」も14歳から16歳と違っており、3年間も慰安婦をしたのであれば「大東亜戦争終結後も慰安婦を続けた」事となるのです。
1944年、16歳の時に強制連行され台湾へ。旧日本軍の従軍慰安婦としての生活を3年間強制された、と証言(1947年まで)
(※敗戦により日本軍がいなくなった後も、現地で2年間ほど働いていたことになる)
このことを指摘され、慰安婦の期間を「3年間→1年間」に修正。(年齢も16歳から15歳に訂正)
http://matome.naver.jp/odai/2142426994356201401
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↑一人の人を取り上げてもこうです。
もっと沢山出てきますよ。
其れをどうして此のマスコミは取り上げないのでしょうか?
彼らはジャーナリズムでは無く工作活動をしていると
認めるのでしょうか?