脳活『為ブログ』352
- カテゴリ:日記
- 2016/01/22 13:00:37
物事には、流れと潮目あり。
どんなに好きな物でも、毎日だと飽いてくる。ご飯は飽きない。だから、主食と言われるのだろう。朝昼夜とパン食の人もいる。外国人はそうだろうが、はっきり言って、私には向かない。3食パンは助けてくれと悲鳴ものだが、米がなく、パンしか食べるものがないのであれば、パンで我慢するかもしれない。結局、何なのよ、ということになる。なければ、何でもいいのか。まあ、仕方がないね。ないのであれば、あるので間に合わせるしかない。
有る、無いの次元から、あり余り現象の危機について以前に書いたことがあるが、今や世界はあり余り現象に突入している。無いよりも、余っている方が危険なのである。危険とは一種の凶器でもある。レアメタル、鉄鋼、石油、テレビ、スマホなどの製品が過剰に生産されている。余るということは豊かな現象なのに、どうして悪であり、凶器なのか。カレーを作りすぎても、冷凍しておけば、電子レンジでチンして後日食べられる。また、知り合いか、兄弟に「ちょっと、さあ、カレー作りすぎたので食べてくれない。」と協力してもらうことも可能である。
だが、物としてのカレーと商品としてのカレーとは同じカレーでも性質が違ってくる。商品は売ることによって、消費者に買ってもらって、食べて消化してもらう。この生産と消費の循環を完成させることによって役割を終える。当然、そこには商売による利益も確保されるというシステムになっている。つまり、資本主義経済である。
この生産と消費の好循環が、極端な過剰生産によって、スムーズに回転できなくなってきたのである。一国だけの過剰生産現象ならば、一国の金融政策や財政政策で調整が可能であるが、あり余り現象が全世界的に積み上げられて、行き場を失いつつあることに警鐘を鳴らす必要がある。世界中の教会の鐘が、全世界の寺院の鐘がガンガンと鳴っている。宇宙人が、これは何の音なんだと、地球に興味を抱くほど鳴り出したことである。ほんま、これから、どうなるの、にゃー??
私は、怒ると「食べない!タイプ」。メタボは、無いだろう。
モノが、有りすぎるよ。
仕事で、介護をしてるが、年寄りは、「大事」たいじを、取り違えてる。
もう、可哀相と、思わない!。
やっぱ、ごまさんのブログ見ないと落ち着かないわww
あたしは、好きな物なら毎日でも構わないかな(笑)
元にカレーは毎日、食べてるよ。
味変え・具材変え。色々工夫しつつ。
一度、作った物は二度と作れない。
そんな感じだけどね(^∇^)