人を思う。
- カテゴリ:日記
- 2015/11/15 20:30:14
今回の事件はびっくりしました。
そして次に怖く、悲しい思いが残りました。
イスラム教徒の知り合いはいませんが、
誤解や迫害が無いか心配になって来ます。
宗教に関しては、
新興の人達が住宅地で布教活動をしている姿は
あんまり好きにはなれませんが、多くの場合、
同じ信徒同士のきずなとか、お互いを思いやる
気持ちというものは、強いと思うんです。
事件を起こした人達はどうなんでしょう?
同じ戦いを戦う仲間に視線は向いているかも知れませんが、
多くの国々で平和に生きている同じ信徒の人々のことを
考えていたのでしょうか。とてもそうとは思えません。
自身の身と命を架すにはどんな理由があるというんでしょうか。
絶望とか疎外とかを強く感じて、
この世界に生きる価値を見いだせずにいたのではないでしょうか。
国籍を得て住まう、そこに馴染めなかったのかも知れません。
ことの根本は事件を起こした人達の置かれた社会状況にあるのではないでしょうか。
彼らに多くの人々の命を奪い、自らの命を絶つ様に仕向けたモノ達は、
彼らを物の様に使い捨てしている様に見えます。
本当にかれらを突き動かしていたのは宗教的な理由だったのでしょうか。
まわりに居て事件に巻き込まれてしまった人々を、
自身と同じ人、人間として、宗教や信条のある生きた人だと、
彼らは認識していたんでしょうか?
物の様に扱われるうちに、自身の身もココロも無くして、
周囲にさざめく人波も掛け替えの無い人生を生きる人と
認識出来なくなっていたのではないでしょうか。
ある意味では、大きな会社の中では人は見られず、
結果の数字にのみ注目されて、そこに生きる人の顔を見ることも無く
組織ごとリストラされてしまう。
そんな世の中のしっぺがえしが来てるんじゃないでしょうか。
生きる人を思い、人を人として見ることが、
黒い布を被って人としての尊厳を否定するものたちが
支持を失うことにつながるのではないかと、
わたしは思うのです。
イスラムでは自国での闘いがあって
反対勢力とか自国に居られなくって難民化していく。。
だけど難民としても 他国ではその国民とはまた違う扱い
不満がたまっても仕方ないけどそこに引導を渡すグループが居るんでしょうね
洗脳されてしまったのかなぁ。。。
宗教に殉ずる事こそが、彼らの唯一の希望になっていたのではないかと思っています。
自らの信じる教義に従い、敵(と思われる人々)を討つ事によって
死後に自らが救われる。
・・・勿論正統な(?)イスラム教にそんな教えは無いと思いますけど。
彼らを利用したい誰かが、彼らをデタラメな教義で洗脳したのではないでしょうか。
それも結局、利用したいモノ達が、彼らを物のように扱った結果、という事ですよね。
私も今の世の中、海外だけじゃなく日本でも
誰かが誰かを利用しようとしている、そんなギスギスした社会になってるのを感じます。
それはもしかしたら今の世の中の限界かも知れない。
少なくとも私自身は、客観的に自分で考え、おかしいと思ったことにはちゃんと抗えるような
そんな自分自身でありたいと思っています。
実行犯にも、それなりの心情があるのかな~とも思いますわ。
中東出身者は、ヨーロッパでは下層階級として扱われ、
賃金も低く、みんなが嫌fがるキツイ仕事や不衛生な仕事をさせられている・・、
という現実がありますもの~。
9月にミラノ行った時も、はっきりと人種・民族と職業との関連が見えました。
そんな環境に長らくいれば、不平不満が高まり、遂にはISISのような過激な思想に染まり、
テロを実行・・・悲しい事だけど、それが現実。。。
言われる通り、人を人扱いしていない・・そこに問題の本質があるのかも。
一つ思うのは・・・
命を奪わず奪われない世界であって欲しいということ。
最後の一文。
叶う世界が来れば武器のいらない世界になりますね^^
なんだろう…
こういうことに本気で心を痛める人がほとんどだと思うけど
それでも自分の保身とか、そういうことしか考えられない人がいるのが
すごく悲しい…
というのが今の実感かな…