Nicotto Town



「永遠の零」に出てくるゼロ戦闘機はとても優れて


「永遠の零」に出てくるゼロ戦闘機はとても優れていて
当時の日本の技術に怯えたGHQは其の設計図も没収します。
そして日本に飛行機作りを禁止します。

当時の日本が持っていた高度な技術を何から何まで
持って行ったアメリカですが、技術者は白人のドイツ人を
敗戦したドイツから連れて行きました。

有色人種に対する差別意識は超凄かった。

此れはDNAの研究が進み、其の内容が解析されるにつれて
純粋な日本人の遺伝子を研究して頭脳と性格が超優れて居る事が
判明するまで続きます。

其れと同時に日本人は中国人、韓国人と全く別人種だと言う事も
判明します。

詰り日本へ北アフリカ、中東を来て更に中国大陸をよけて北上して
サハリンから南下して来ます。

其の為に中国半島人種と全く別の人種が出来たと思われます。

所謂モンゴロイドで此れは中国、韓国を外して中東、欧州 シベリア
日本、メキシコまで繋がっているルートが出来ます。

不思議なのは日本の古くから歌われていた歌、子供の遊びが
伝わって居ます。


さてMRJ(日本製ジェット機)が飛びました。
日本の飛行機作りの歴史からすると
とびとびの技術開発です。
私はGHQが日本のゼロ戦があまりに優れているので
其の設計図から何から何までごっそり取り上げて
略奪して、更に技術者を残して飛行機作りを禁止すると言う
残酷な目に合いながらも此処までたどり着いた事に
感激しています。
今後どうなるかは解りませんが、
無人機の中にもジャンボ飛行機の中にも
日本人の技術者と日本の技術があります。

ちょっと色々と複雑な思いで飛び立つのを見て居ました。

少しウィキでは其の辺りを優しく書いて居ます。
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かつて航空機大国だった日本は、1945年(昭和20年)に太平洋戦争に敗北すると、GHQ/SCAPによって航空機の研究・設計・製造を全面禁止された。戦前の航空機資料は全て没収され、機体は一部がアメリカ軍をはじめとする連合軍に接収されたほかは、すべて破壊された。GHQの方針としては、日本の重工業をすべて再起不能にした後に、農業小国にしてアメリカに経済依存させ続けようというものだったが、1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発し、三菱重工業(当時「新三菱重工」)など旧航空機メーカーに、戦闘機など軍用航空機の点検・修理の依頼が入るようになっていた。

1952年(昭和27年)に日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)で日本が再独立すると、日本企業による飛行機の運航や製造の禁止も解除されることになり、同年の7月に航空法が施行された。

民間航空会社はその前年の1951年(昭和26年)に日本航空がGHQの意向で発足しており、翌年の1952年(昭和27年)には全日本空輸の前身である日本ヘリコプター輸送、極東航空が発足し、その翌年の1953年(昭和28年)までには東亜国内航空(現:日本航空)の前身となる日東航空、富士航空、北日本航空、東亜航空が発足していた。

1955年(昭和30年)4月に川崎航空機(現川崎重工業)と新三菱重工業(現三菱重工業)に保安隊(後の自衛隊)向けの機体(ロッキードT-33Aジェット練習機、ノースアメリカンF-86F )の国内ライセンス生産が決定し、航空機産業復興の兆しが見え始めた。

戦後の日本の航空路線は、ダグラスDC-3やDC-4、コンベア440などのアメリカ合衆国製やデ・ハビランド DH.114 ヘロンなどイギリス製の航空機が占めており、戦前の航空機開発・製造で実績のあった日本で自国製の航空機を再び飛ばしたいというのは、多くの航空関係者の望むところであった。
========-ウィキより

アバター
2015/11/12 11:04
ラム様
庭にミカンって素敵ですね。
寒暖の差が大きい昨今、お体にお気を付けくださいませ。
アバター
2015/11/12 07:56
おはよう^^
我が家の庭のみかんの木からもいで食べるミカンは新鮮でパワーいっぱい格別ですよ。
今日もお元気でね♪



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