Smile again 【第十章】
- カテゴリ:自作小説
- 2015/10/27 17:44:03
第十章 『星空の誓』
裕樹…私、もう少しで思い出せる気がするの。
事故の日のこと、星空の丘での事もすべて、もう少しで。
裕樹…今すぐその約束を私に言いに来ることは、できないんだよね?
「…裕樹」
空っぽの手のひらを見つめ、呟く名前。
美加の中の薄っすらしていた影が、徐々に姿を現してきている。
落ちてばらけていた破片も、少しずつ元の形に戻りつつある。
もう少し。もう少しで、何かがつかめそう。
美加は深呼吸し、そっと瞳を閉じてみる。
瞼の裏に移るのは、裕樹と、星空達。
彼は月の光に照らされ、こちらを振り返りながら微笑んでいる。
そして、伸ばした手のひら──…。
「ッ…裕樹…今すぐ、私もそこへ…」
そっと伸ばした手。
その瞬間、裕樹の姿は嘘のように消えた。
粉々になり、また集めた破片がばらばらに砕けるように──。
「ヤダッ…ヤダ…!裕樹…」
一粒、また一粒と零れる涙を止めることさえ忘れ、美加は泣き崩れる。
シーツをギュッと握りしめ、力いっぱい叫んぶ。
その声は、廊下まで響き渡っていた。
扉の先に、ドアノブを握ったまま立ち尽くす男の影。
彼の横顔は、すごく、切なげで……
「裕樹…って、誰だよ」
とても、残酷だった。
◆
〝事故の記憶は〟…その言葉にしこりを覚えた長谷川。
美女の意味深な発言は、いつまでたっても忘れることはなかった。
病室から離れ、一人歩く帰り道。
美加が自分の知らない男の名前を呼んで、泣き叫ぶ姿を見るのは、いくらなんでも辛すぎたのだ。
裕樹、誰なんだ。
もしかして、事故と関係している男なのか?
付き合っていた、とかいう…男なのだろうか…?
長谷川の頭は何度も回転している。
だが、いくら考えても答えなど見えてくるはずも無かった。
「彼女のために別れた」
女性はそう言った。しかし、彼女は皮肉にも、泣き叫んでいる。
自分のために別れたんだという事さえ知らずに…。
「…そうか。俺が、その男を探せばいいんだ」
閃いた最高のアイデア。
長谷川は、何としても美加を救いたかった。
彼女のために、しっかりとできることをしてやりたかった。
それは、過去の自分とつながっているから──…。
「と言っても、ソイツはどこにいるんだろうか…?顔も知らないし」
腕を組み、頭を悩ませる。
途端に、いいアイデアがひらめいた。
「あの女に聞けばいいのか…!それにあの女が何者かも聞いてないし」
長谷川は端末を起動させ、すぐに番号を押す。
ベルが鳴ったのはほんの一瞬だった。
「もしもし?何か進展でもあったの?」
「いや、聞きたいことがあるんだ…」
「……裕樹の事?」
「…ああ」
勘が鋭い。
「わかった。じゃあカフェで落ち合いましょ」
待ち合わせ場所を聞いて、すぐにカフェへと向かった。
長谷川のいる病院から行けば、そう遠くない距離だった。
カフェの扉の開く音は、いつもきれいなベルの音。
同時に見えたのは、派手な格好の女。
「あら、早かったのね」
「遠く、ないからな……」
その答えにふふっ、と笑みをこぼし、早速適当に飲み物を頼む。
女は、グラスをグッ、と持ち上げて、尋ねた。
「で?裕樹の事で何」
「病室で、美加が泣き叫んでるのを聞いた。裕樹って…」
「…そう。やっぱりまだ消えてないんだね」
「アイツのために別れたってなら、その男もまだ美加の事好きだろ?」
「当たり前じゃない!」
バァァァンッ…!
と、鳴り響いた音。
ちょうどコーヒーを運んできた店員が、肩をピクリと動かした。
「あ、ごめんなさい。どうぞ」
「し、失礼します」
そそくさと逃げるように去る店員。
「はぁ」と深いため息をこぼし、女は額を抑えた。
「…ごめんなさい、冷静になるわね。でも、彼がまず美加を嫌いになるなんてありえない事なのよ」
「っていうと…」
「私は美加が嫌いよ。でも、彼は死ぬほど美加を愛していた。それが悔しくて溜まらなかった時があったほど」
「好きだったのか?」
「好きよ。姉だもん」
「──…は?」
突然のカミングアウトについていけない。
長谷川を置いていくかのように、彼女は続けた。
「弟が嫌いな姉なんてそうそういないでしょ?私は、弟の裕樹が好きよ。でも…美加の事、認めてなかったわけじゃないし、むしろ認めてた。いい子だもん。でも、嫉妬ってやっぱり避けられないわよね」
「…ちょっ、待てよ。だったら話は早い。今すぐ裕樹に──」
「それができれば、裕樹から美加に会いに行ってるわよ」
「だからどういう意味だよ…!ちゃんと言ってくれよ」
「──…事故の記憶がないって事はね、事故を起こした相手も覚えてないって事だし、顔さえ…犯人さえわからないって事なのよ?」
「だ、だからどうって…」
「それが裕樹と別れる原因になったんだろうなって、勘ぐらないの?バカ」
「なっ…」
長谷川は鈍感だ。ド鈍感だ。
しかし、今の一言で、ようやく見えてきた気がした。
カラン、と氷が溶ける音と共に、謎は解けた。
「…まさか…事故を起こしたのは女か…?」
「……よくある話、よね」
「…って事は、裕樹が言ってた好きな女って…」
「そのまさかよね」
長谷川は今にも怒り狂いそうだった。
美加を苦しめたのは、裕樹じゃない。むしろ裕樹は彼女を救った。
命の恩人だと言っても過言ではない。
「裕樹は今、その女と婚約してるわ。来週当たり結婚するって」
「嘘だろ…」
「私でも、どうにもできないの。ごめんなさい」
その時の彼女の表情は、とても寂し気で。
僅かに涙を流していた。
黙って立ち上がり、お金だけおいていく。
これ以上泣いている姿を見せたくなかったのかもしれない。
長谷川も、そのまま黙って、動けなかった…。
続く。