深海 【前編】
- カテゴリ:自作小説
- 2015/10/18 17:54:29
目を開いても真っ暗、視界には何も映らない。
息苦しくて、空気を吸いたくても沈んでいくばかりで呼吸さえできない。
深海。まるでそこは深海のようだった。
「アハハッ、本当にパパってば面白いわねぇ」
「そんなことないだろ~」
真っ暗闇の部屋。目を開けても、何も見えない。
呼吸はできている。だけど、息苦しくてたまらない。
そこは、深海ではない。しかし、深海と同じくらいに息苦しい場所だった。
ベッドの上でうずくまり、両耳を塞ぐ。
今は誰の笑い声も、陽気な声も、聞きたくない。
ギュッ、と力を込めて瞼をとじれば、こぼれる一筋の涙が、私の心に唯一の癒しを与える。
私は、何も興味がない。
学校に行って、帰ってきて、やることはすべて終わらせる。
すべて終わった後は、何もすることがない。感じ取ることさえ、面倒なほど。
ただ、決まった時間になれば、私はいつもこうして明かりを消し、耳を塞いで殻に閉じこもる。
それはまるで深海に落とされる貝殻のようだった。
家族は、もうこの状況に一切口を出さなくなった。
そりゃそうだ。出されても、困る。
うちは、4人家族。
母、父、妹、私。ごく一般的な家庭だと思う。
…───私を除いて。
10年前、両親が交通事故で亡くなった。
気付けば、いなくなっていた。
私は車の窓から、外の景色を眺めていた。元から、口数の少ない子供だったため、
家族との会話だって、僅かしかしていない。
助手席に座っている母が、いつも父の肩に触れて仲睦まじく話している背中。
それが、最後に見た両親の姿だった。
キィーーーーーーッ!!
そう音を立てて、激しい衝撃と共に、視界が一気に動転する。
朦朧とした意識の中、目を覚ました瞬間に感じたのは、両親の血のにおい。
そこから先は覚えていない。次に覚ました時は病院の薬の香りと真っ白な部屋だったから。
それから気づけば今の家にいた。
叔母たちに引き取られたのだ。母と繋がりがあってよかったね、と何人もの人から言われたが、
正直いなかったほうがよかったと思う。私は、命などおしくもなかった。
7歳という幼子だったのにも関わらず、私は「生きたい」などという感情は無かったから。
それほど、人生に絶望していたのだ。
「今日から、ここが貴女の家よ。自分の家だと思って遠慮はしないで」
叔母さんはすごく優しかった。
母の妹である叔母さんは、姉である母によくしてもらったと嬉しそうに話していた。
だから、今度は私が助ける番なのだと、自慢げに話していた。
それは、自己満足じゃないのだろうか。
「辛い思いをしたね。これからは、私たちが君を守るからね」
そういって優しく抱きしめてくれたのは、叔母さんの旦那さん。
嫌でも、「父」と呼ばなくてはいけない存在だった。
私は、彼を「旦那さん」と呼んだ。
「ああ、そしてこれが君の妹にあたる佐奈恵だ。佐奈恵、挨拶しなさい」
「…よろしくお願い、します」
今まで一人っ子だったのに、彼女が目の前に現れた日から、妹ができた。
名前は佐奈恵、と名乗り、小さな手で旦那さんの手を握りながらぺこりと挨拶してきた。
彼女は3つ下で、4歳だった。私は彼女を、佐奈恵ちゃんと呼んだ。
皆、自己紹介が終わった後私はこういった。
「皆さん、この度はご迷惑をおかけして申し訳ありません。
しっかりと自立をできるようになったら、出ていきますのでそれまでお世話になります」
鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔だった。
しかし、私は気にも留めなかった。ただ、目を閉じ、静かに一礼した。
それ以来、彼女たちはよくしてくれた。
しかし、同時に私を気味悪がった。
深夜、私たちを寝かしつけた後彼女たちは決まって夫婦で会議をしている。
「あの子、普通じゃないわ。両親が死んでいるのに泣きもしないし、すぐに眠りにつく」
「今は戸惑っているだけだろう…」
「いいえ、だってあの子、来た時からおかしいこと言ってたじゃないの!」
「いい加減にしろ!お前の姉の子だろう!?」
「何よっ、それ…私が悪いっていうの!?引き取るって賛同したのはアナタだっって…」
うるさいだけだった。罪悪感など全く感じない。
私は、私のために生きるし、自立できるようになれば出ていくと公言したはずだ。
毎晩続いていたが、気にせず眠った。
それから6年がたち、13歳になった。
佐奈恵ちゃんは、10歳。まだまだ子供だった。
彼女は叔母さんたちが大好きで、いつも甘えていた。
「見て!今日テストでいい点数とったよ!」
「まあ、今日はお祝いね」
そういって、叔母さん達が笑ってる時、私は満点のテストをぐしゃぐしゃにして燃やしていた。
ゴミ箱に捨てるだけじゃ、甘すぎる。見られては困るからだ。
彼女たちは優しい。これを見つければ、すぐに呼び出して祝うことだろう。
それだけは、いやだった。
「そうだ、あの子はテスト何点だったんだろうか」
「そうねえ、あの子は…」
彼女たちが私に興味を持ち出したころ、私は決まって外にいた。
気に留めさせる時間が、もったいない。
だったら、本当の子を褒めてあげてほしかった。
私に、愛などいらなかった──。
そして、今。
17歳になった私は、毎晩決まった時間にこうしている。
夜の7時。ちょうど彼女たちが食卓を囲む時間だ。
これは私がこの家に来たころから、していることだから彼女たちは気にも留めなくなった。
しかし、なぜか今夜は違った。
「…いるか?」
扉のノックと、旦那さんの声。
私は聞こえない振りをした。
コンコン。
もう一度なったノック音。
もう一度、知らないふりをした。
「寝ているのか…?」
答えなかった。
寝た、と思われたほうがむしろ都合がいい。
私は、頬に伝う涙を無気力に拭い、もう一度目をとじた。
しかし、一向に立ち去る気配がない。
ここは二階だから、立ち去ればすぐに足音でわかるのだが。
もしかして、彼は私に対して罪悪感でも抱いているのだろうか…
そう考えだした時だった。
「本当に、君にはすまないと思っている。昔から、君にはやってもらってばっかりだからね」
扉の向こう側から突然話し始めた。
塞いでいた両手は次第に離れていき、いつの間にか耳が彼の声を受け入れていた。
「しかし、これだけは信じていてほしいんだ。私たち家族は、皆君を愛している。」
そんなウソ、いらない
「佐奈恵も、美恵子も…もちろん私だって君を愛しているよ」
愛などいらない……
「もしよかったら出てきて夕飯を一緒に…」
「もうほっておいて…!!」
つい声が出た。
何も答えるつもりじゃなかった…無意識だった。
そんな私の声が聞こえないわけもなく、旦那さんはクスッと笑って言った。
「君が感情的に反抗してくれたのは初めてだな。」
次第に弱まっていく声。ズッとすする鼻の音。
「君のこと、いつまでも待っているよ…佐奈恵も一人じゃ寂しいとさ」
その声は震えていた。間違いなく、彼は泣いていた。
私は無気力にただ頬に涙を伝わせる。
力が抜けきった体は、まるでしぼんだ風船のようだった──。
「…もう、ほっておいて…」
そういった頃には、彼はもう立ち去っていた。