Nicotto Town


ごま塩ニシン


脳活『為ブログ』203

    補陀落さんに想う。
 西国三十三番の御詠歌を、お盆の際に鉦(かね)を叩いて唱えた。
この御詠歌の一番は「きいの国なちいさん」である。
「ふだらくや きしうつなみは みくまのの なちのおやまに ひびくたきつせ」。
一年に一回唱える御詠歌。それもカセットテープを流して、後追い唱和して
いくだけなのだが、冒頭の「ふだらく」という表現に感傷的になった。
 月に一回寄り集まって、五人ほどが読書会をしているのだが、井上靖の
『補陀落渡海記』を読んだことを思い出した。辞書によると、補陀落の説明では
「(梵)potalaka(仏)インド南端の海岸にある、八角形で観音が住むという山。
中国、日本で、多くの観音の霊場にこの名を用いる。」(スーパー大辞林)とある。
 井上靖の小説では、熊野の浜ノ宮海岸にある補陀落寺の住職、金光坊が
海の彼方にある観音様の世界に行くために小舟に乗せられて、渡海することに
なるが、当日の海は荒れていて、金光坊が海に投げ出されてしまう。運よく海岸
打ち上げられるが、同僚の僧達は、再び船に乗せて金光坊を海へ送り出した。
 この時、金光坊は、「救けてくれ」といって、弟子の清源から紙と筆を借りて
「求観音者 不心補陀 求補陀者 不心海」と書き残す。この言葉が契機となって、
後の補陀落渡海の行事はなされなくなったという。
 小説でのことだから、井上靖の解釈であるとも考えられるが、何か人生の終末
について、どのようにしたらいいのか、考えさせられる。人はいずれ死ぬ。死に方が
問題であり、死後の世界も気になる。観音様の楽土がどんなところか、一度、見たい
という気持もあるが、焼き場に運ばれ、ガスで焼かれ、気体になると、煙突から
空中に押し出され、宇宙の彼方から飛んできたニュートリノか未発見の素粒子と
合体して、アンドロメダ星雲に連れ去られるかもしれない。こんな夢の冒険もある
と思う。書きだしたら、止まらないので、この辺でお終いです。

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2015/08/16 12:48
読みました。小説・井上 靖(やすし 様の、???。(笑



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