脳活『為ブログ』203
- カテゴリ:日記
- 2015/08/16 12:09:06
補陀落さんに想う。
西国三十三番の御詠歌を、お盆の際に鉦(かね)を叩いて唱えた。
この御詠歌の一番は「きいの国なちいさん」である。
「ふだらくや きしうつなみは みくまのの なちのおやまに ひびくたきつせ」。
一年に一回唱える御詠歌。それもカセットテープを流して、後追い唱和して
いくだけなのだが、冒頭の「ふだらく」という表現に感傷的になった。
月に一回寄り集まって、五人ほどが読書会をしているのだが、井上靖の
『補陀落渡海記』を読んだことを思い出した。辞書によると、補陀落の説明では
「(梵)potalaka(仏)インド南端の海岸にある、八角形で観音が住むという山。
中国、日本で、多くの観音の霊場にこの名を用いる。」(スーパー大辞林)とある。
井上靖の小説では、熊野の浜ノ宮海岸にある補陀落寺の住職、金光坊が
海の彼方にある観音様の世界に行くために小舟に乗せられて、渡海することに
なるが、当日の海は荒れていて、金光坊が海に投げ出されてしまう。運よく海岸
打ち上げられるが、同僚の僧達は、再び船に乗せて金光坊を海へ送り出した。
この時、金光坊は、「救けてくれ」といって、弟子の清源から紙と筆を借りて
「求観音者 不心補陀 求補陀者 不心海」と書き残す。この言葉が契機となって、
後の補陀落渡海の行事はなされなくなったという。
小説でのことだから、井上靖の解釈であるとも考えられるが、何か人生の終末
について、どのようにしたらいいのか、考えさせられる。人はいずれ死ぬ。死に方が
問題であり、死後の世界も気になる。観音様の楽土がどんなところか、一度、見たい
という気持もあるが、焼き場に運ばれ、ガスで焼かれ、気体になると、煙突から
空中に押し出され、宇宙の彼方から飛んできたニュートリノか未発見の素粒子と
合体して、アンドロメダ星雲に連れ去られるかもしれない。こんな夢の冒険もある
と思う。書きだしたら、止まらないので、この辺でお終いです。
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- アメショ
- 2015/08/16 12:48
- 読みました。小説・井上 靖(やすし 様の、???。(笑
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