そうかも知れないねぇ。日本のバレエの母と呼ばれた
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2015/07/26 10:00:55
そうかも知れないねぇ。
日本のバレエの母と呼ばれたロシア人夫人の凛として
生きる事をバレエを通して教えた本当の貴婦人。
どんなに厳しい練習でもその上に立つ誇り。
どんなに貧しい環境に落とされても背筋をピンとしなさいと
卑屈になる事を否定した。
その上で日本を愛して日本を心から此の国を
応援した人。
彼女の心の叫びが「瀕死の白鳥」でしょう。
だが、表に出る彼女はたくましかった。
そして日本人にどんなになっても背筋をピンとしなさいと
たくましく生きる事を教えて様としていたのでしょう。
彼女が伝えた白系ロシア人の誇りと歴史の上に立つ品位。
其れを無垢な日本の女子達に体にしみこませた。
たくましく美しくしなやかに生き抜く為に日々努力をする事。
昔彼女を身近に知っているお世話をしていた人が書いた
彼女との思いでの文章を読んだ事があります。
旗日と言う言葉が在るのに日の丸を掲げなくなった
此の日本の現状を彼女はどう見るのでしょうか。
彼女ほど真剣に日本を切に思っていた女性は無いでしょう。
日本人よりも日本を思っていた女性と言う評価でした。
其れは日本が強くなって社会主義を跳ね返す力を
持たないと国家として失う物の膨大なロシアと言う国の
悲劇をこの国の歴史に起こしてはいけないと思ったのでしょうか。
こんな方がいらしたのですね。
エリアナ・パヴロワ(Eliana Pavlova、Еле́на Па́влова 1899年3月22日 - 1941年5月6日)は、ロシア出身の日本のバレリーナである。1937年に帰化、日本名霧島 エリ子(きりしま えりこ)。横浜、のちに鎌倉でバレエを教え、日本にバレエを根づかせた最初の人物として知られる。「日本バレエの母」と呼ばれる。
======ウィキより
サンペトブルグ?の貴族の家に生まれたそうです。
ロシア革命で白系ロシア人として日本に逃げて来ました。
かなり前に其の方のお世話を日本でした方が彼女の事を書いたのを
読んだ記憶があります。
バレエの番組で特集をしていたそうです。
家を出て日本にたどり着くまで色々在ったでしょうに。
日本の為に尽力して下さったようです。
靖国神社に奉られていらっしゃるようです。
日本の人達も日本の為に尽くして無くなったと受け取ったのでしょう。
随分彼女の事を書いた本がでているようですが、
私は本で読んだのか、雑誌で読んだのかは忘れました。
本では無かった様な気がします。