ドラマ【花燃ゆ】
- カテゴリ:テレビ
- 2015/06/09 16:31:58
花燃ゆ
NHK 日曜夜8時~
【あらすじ】上洛した玄瑞は、攘夷祈願のため天皇の大和への行幸を実現させようと活動し始める。しかし下関での敗戦により、佐幕派が勢いづいており、薩摩藩や会津藩なども怪しい動きを見せていた。一方萩の杉家では、耳の聞こえない敏三郎が突然、高杉が率いる奇兵隊に入隊したいと言い出し、家族を驚かせる。父・百合之助は敏三郎の思いを汲み了承するが、母・滝は寅次郎に先立たれた時の悲しみが忘れられず、断固反対する。滝の了解を得られないまま、文は敏三郎を、奇兵隊が駐屯する下関まで連れて行くことにする。
【感想】今回は前回に引き続き文久3年(1963)の、八月十八日の政変がメインでした。ということは、アレまであと1年ですね。ドラマでは政変よりも、玄瑞の浮気のことがメインなような気がしましたがw しかし、当時こんなにも全国を飛び回って活動している男性に、現地で浮気をするなという方が難しいですね。しかも玄瑞は180cmはある長身で、美形だったらしいですから。遺された写真は、ちょっと私の好みではないですが、あれは親戚だという説もあります。また、辰路との間にできた息子の写真もあり、こちらはそこそこ整った顔立ちをしてますね。男性の場合、高身長は顔よりもプラスになることもありますし、モテるのは性格的な部分もあると思うので、写真からだけでは判断できませんけどね。
さて、まず大和行幸の件ですが、かの真木和泉が絡んでいたようです。八重の桜で嶋田久作が演じていたのがとても印象的でしたが、このドラマには名前すら出てきませんでしたね。大和行幸は、単なる攘夷祈願ではなく、倒幕をも視野に入れた尊皇攘夷派の陰謀でした。この時期、玄瑞は料亭から辰路と帰る途中、刺客に襲われたことがあったのですが、刺客を一喝し、その迫力で難を逃れたそうです。ちなみに辰路が薩摩藩の密偵であった事実は確認できませんでしたが、料亭からお持ち帰りしていたということは、この頃既に深い仲だったのではないでしょうか。また、当時玄瑞には他にも女がいたようで、本当にモテモテだったようです。
一度は行幸を認めた孝明天皇ですが、彼は攘夷派でありながら倒幕の意思はまったくなく、極端な攘夷論を振りかざす玄瑞ら長州藩士たちや、それに味方する攘夷派の公卿たちを快く思っていなかったようです。その気持ちにつけこんだのが、薩摩藩や会津藩ですね。もっとも2つの藩は協力しながらもそれぞれのスタンスは異なっており、薩摩は攘夷派の主導権を握ったかのような長州の勢いが気に入らず、会津藩はひたすら天皇のため、幕府のために動いていたのだと思います。ちなみに久坂は18日の時点では参内していない可能性が強いです。
そして政変後、ドラマにも出てきた玄瑞から文への手紙ですが、養子のこと以外にも、正式に義助(よしすけ)と改名したことや、政変に対する生々しい感想などを書いていたようです。ドラマでは大変気落ちしていましたが、もちろん多少なりとも気落ちはしたでしょうが、ここで屈しないのが玄瑞。21日には長州に落ち延びる七卿と別れ、再び京都に潜入しています。敵勢の動向を探り、これからどうすればいいのか考えを巡らすためでしょうね。本当にアクティブかつアグレッシブな男です。
一方、政変の情報を耳にした高杉が、奇兵隊を連れて大阪に攻め上ろうとしたのは本当のようです。その後、高杉とともに、玄瑞も政務役に抜擢されました。元々身分の高い高杉に比べ、玄瑞は元は医者。異例の大抜擢だったと思います。下関の外国船砲撃で失敗、行幸の計画も失敗、どちらとも手痛い反撃を受けた玄瑞を、ここで政務役に抜擢する長州藩も、なかなかアグレッシブではありますよね。長州藩と言えば、関が原の総大将だった外様中の外様。実は江戸時代、幕府に従いながらもいつかは倒幕をと願っていた藩でもあります。そういう風土が、過激な若者たちを取り込んだのでしょうか。もひとつちなみに、玄瑞が藩命で山口に帰国したのは9月23日で、文と会ったかどうかは不明です。もちろん文に浮気をバラしたかどうかもわかりませんが、なんでそこで言うのっていう感じでしたよねw 玄瑞自身も、参戦したり刺客に襲われたりと、いつ落命しても不思議ではない環境に身を置いていることは、自覚していたと思います。ドラマでも、養子縁組を考えたのは、自分が死んだ時のことを考えてのことだったと、文に指摘されてましたよね。それならその秘密は、墓まで持っていけばよかったのに、と思いますね。