前日の続き「私は問題ないとおもうな」2
- カテゴリ:30代以上
- 2015/04/27 17:27:02
前日のブログ
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ヤフーニュース意識調査と言う所があるんだけど
自民党の放送局を呼び出して事情を聞いた問題は普通の事だと思う。
先に民主党も呼び出して事情を聞いて居るし、
其れは其れが普通に事情を聞きたいと国会その他で話をするにも
本当はどうなんだと事情を聞きたいからだと思うし、
それと同じ様に自民党も国会その他で話をするにも
本当はどうなんだと事情を聞きたいので呼んだで良いと思う。
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自民党の放送局聴取、どう思う?
http://polls.dailynews.yahoo.co.jp/domestic/15822/result
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以下略
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どう言う事なのか、事情を聞く事もできない様では
与党はマスコミのした事に対して何もできなくなる。
其の方が今のマスコミの状態の中で心配です。
「報道の自由」と言うなの「マスコミは何でも出来る(工作活動が出来る)」に
なっては行けないと思うのです。
「マスコミに事情を聞く=マスコミに圧力をかける」と言う概念を「報道の自由」と言う
言葉によって植えつけられるのは危険な事だと思う。
私達は「報道に対して権力者(例え場政府)の思想、信条以外の意に反した
報道を禁止される」或いは「政府に反対した言動をした為に罰則を与えられる」
等の行為と「報道と言う世界に関係した行為の中で何が起きたのかと言う事の
じじょうを聞く」と言う行為の違いをきちんと見極められなければならないのです。
つまり「人権」「平和」「報道の自由」と言う言葉を使えば何でも許されるものでは無い。
其の言葉、すなわち「人権」「平和」「報道の自由」と言う一見正しそうな「美句」に
惑わされては行けないと言う事なのです。
今回は明らかに事情を聞いたと言う事です。
民主党も同じ目的でそれ以前に事情を聞いたと思われます。
国会にしろ、何かの報道に関しての分科会にしろ
テレ朝の今回の問題、NHKのやらせ問題についての
話が出た時に自民党も何も知りませんでは通らないでしょう。
それから其々を呼んで事情を聞いてからお答えしますでは
問題意識が薄い、今まで何をしていたのかと言うことにも
なりかねません。
今回の事案に関しては問題が無いと思います。
ケント・ギルバートさんのブログは読んだ事がありませんが
おっしゃる通りだと思います。
「言葉」をどうとして捉えようと使い方を間違えばとんでも無い物になってしまいます。
簡単な話は「人道」或いは「人権」と言う言葉を使って「非道を行った極悪人」を援護すると
「極悪人」の起こした非道は肯定されてしまうのです。
其の簡単なトリックが時に悪用されて人は「非道を行った極悪人」を罰する事ができなくなります。
此の簡単なトリックに多くの人が惑わされてしまっているのが現在なのです。
其れをきちんと直して行かなければなりません。
その為には例え場今回の事案も「報道の自由」とは、「報道への圧力」とは、そして「報道に事、或いは事件、
或いは出来事の事情を聞く」と言う事の区別を付ける事ができなくてはなりません。
今回はどうなのかと私は精査して「問題が無い」と区別しました。
一番現在注意をしなければならないことは「報道の自由」と言う言葉で「報道が何をしても許される事ではない」と
言う事。
そして今の日本のマスコミの現状を考えると「報道の自由=マスコミの敵国工作活動」になってないかを
精査する事も考えて、きちんと区別をする目と意識を持たなければならないと思うのです。
ケント・ギルバートさんのブログなのですが、ご存知ですか?
http://ameblo.jp/workingkent/entry-12019602753.html
日本国憲法は、使い方を間違えると人を獣としてしまうものだと思います。
憲法の前に必要なのは、倫理観と道徳意識だと思います。
それがなければ、社会は成り立たず、平和などあり得ないのです。
平和憲法なんて存在しないのです。
平和とは、人の倫理観と道徳意識のもとに成り立つものだと思います。
それを否定するのは、人ではない獣だと思います。
憲法の一見すると理想の言葉で書かれ、素晴らしいものに見えていますが、
倫理観と道徳意識のある人から見れば、わざわざこんなことを書かないといけないのか?と
疑問、違和感を感じるものも多いと思います。
十戒は、人としての倫理観と道徳意識について記されたものです。
日本人は、子供のころから親や周囲の大人たちからそれを学び育ってきたんだと思います。
そこを軽んじて、憲法第一の発言は、人の発する言葉とは思えません。
憲法に記された自由を大事と叫ぶ人は、この国を崩壊させたい人なんだな・・・と思います。