学び舎にて 叱られし おもひで
- カテゴリ:日記
- 2015/03/08 11:07:26
教授に罵倒された昔を書いたら、学校で叱られた数々も芋づる式に思い出した。
うむ、コレは懐かしい。少し書き連ねてみよう。
前世期の話なので、親も子も社会も体罰を容認してた時代です、ご容赦を。
小5だったかな、校舎の屋上で写生の授業が始まった。
ふと下を見ると、4階教室の窓の庇部分が。かなり広く丈夫そう。
屋上の手すりに寝そべり、「あー……落ちるー!」と叫んで下の庇に降りた。
いやー、I先生(女性)の顔色が真っ青、直後真っ赤に涙ぐみ、鬼の形相。
往復ビンタを何度くらったことか。先生が着任一年目、二十代前半だった頃だ。
彼氏と校庭で話してるのを邪魔して追いかけられたことも。申し訳ありませんでしたー!
中学に上がってから。当時の職員室は喫煙率高し、N先生はヘビースモーカー。
何で呼び出しくらったか忘れたが、「手を出せ」といわれ出したらタバコでジュッ。
未だに火傷痕は残るが、呼ばれた理由が……あ、校舎裏の喫煙バレか?納得。
同じころ、大規模カンニングでK先生から4人一緒に放課後居残りを命じられた。
待てど暮らせど来ない。校舎の壁に「〇時間待ったが来ないので帰る」と落書きして帰宅。
翌朝、大爆笑されながら皆の前で全員ぶん殴られた。崩れ落ちた我々もなぜか笑顔。
H先生から廊下で一本背負いを喰らったときは痛かったなー。
確か授業聞いてなくて、休み時間にやんわり注意されてもヘラヘラしてたせいだ。
人の話を聞くときの表情に気をつけるようになったのはこの頃からでしたねー。
授業を抜け出して卓球場でジュース飲みながら卓球に興じる。
たまたまF先生に見つかり、足が痺れるまで正座の後、延々と投げ技の練習台に。
ヘロヘロで教室に戻り半死半生、放課後まで動けなかったこともあった。
叱ってくれた先生方は、今思うと二十代から三十代半ばというところ。
メチャクチャな方も多かったけど、理不尽な叱られ方をした覚えは一切ない。
その時ムカついたとしても、数年経てば腑に落ちることばかりでした。
言論を含むあらゆる暴力は否定されるべきです。昔も今も将来も。
それを承知で言わせてください。先生方、愛のムチ、アリガトーゴザイマシタ。
俺だけでなく、みんな懐かしく、有難く思ってるはず。それだけは言っておこう。
信じがたい話かもしれませんが、私はかなりの優等生でした。それでもこのザマです。
言語、肉体を問わず全ての暴力は否定されねばなりませぬ。これらは誤謬の時代の出来事でしょう。
でも私、アミーチスという作家の書いた『クオーレ』という物語が好きでして……通ずるものを感じます。
インコ好きの春うららです(^^)
ユースケ様は、かなりの腕白坊主だったのですね。
サザエさんのカツオ君のエピソードみたいで、
思わず声をだして笑いながら読んでしまいました(失礼)
私は幸か不幸か、のんびりとした平和な学校で育ったので、
手にタバコをジュッ(!)とか、一本背負い(!)とか、
まったく想像もつきませんが、
それを「愛のムチ」に感じたということは、
先生方の深い愛情があってのことと思われ、
なんだかとても羨ましく思いました(^^)
そんなに先生に深く愛された記憶がないな σ(^^;