白い涙 【我が唯一つの望み:3】
- カテゴリ:その他
- 2015/02/28 21:07:46
本当は、いつだって悲しかった。
黒も白もなく感情を揺り動かされること。
胸の中をぎゅっと絞られるような思い。
涙が落ちないだけで
決して泣きたい気持ちにならなかったわけではない
けれどそれとは別に心の中にはずっと
淡い喪失感があって、それは消えることはなかった。
いつからそうだったのかは
本当は自分ではわかっていた。
私以外の誰ひとり記憶に留めていなかったとしても
私は覚えている。
思い出す。
あの日ジャングルジム越しに見た木々の緑を
時折吹いていた風が運んできた、かすかに湿った土の匂いを
その年初めて袖を通した半袖の感触を
あの日
あわただしく近づいてくる足音を
祖母の一周忌は恙無く終わった。
一年前と同じでやっぱり涙は流れなかった。
悲しい気持ちにならないわけではない
けれどもどうしても涙が出てこなかった。
そのことには余り感傷はなかった。
けれども足は自然と通い慣れた祖母の家へと向かっていた。
祖母の家の縁側から庭を眺めた。
庭から少し視線を上げると、沈みかけた夕陽が
山の稜線をオレンジで描きだしていてとても美しかった。
「祖母もこの光景を見ていたのかな」
もっと話をしておきたかった。
もっと色々教わっておきたかった。
もっと喧嘩をしたかった。
けれどもうそれは叶うことはない。
そう思うとすごく悲しくなった。
夕陽は山の向こう側へと姿を隠し
オレンジは夜の青を連れて来ていた。
「冷えてきたかな」
その時、開けっ放しの縁側から
夜風がかすかな匂いを運んだ。
それはよく知るオレンジの香りだ。
すぐに4桁の数字が脳裏を掠めた。
香りに誘われるように足音が近づいてきた。
このあたりは郊外で胸を張って辺鄙といえるような土地だ。
車どおりも殆どなく、足音だけがクリアに伝わってくる。
オレンジを纏った人影は門を潜り
縁側に腰掛けた私の横に無言で座った。
その門の前に立った時
はっきりとそれがわかるほど
どくんどくんと僕の心臓は鳴っていた。
足が震えている。
あの時と同じだ
一年前
僕は同じ場所で、同じようにこの門の前で立っていた。
あの時は何も考えていなかった。
混乱の余熱が治まらないうちに
スニーカーの紐を結わえ走り出していた。
けれど門は開いていなかった。
声を掛けるべき人影
この家でリアルな死に向き合い
打ちのめされたであろうことは容易に想像できた。
とにかく側にいてあげたかった。
けれど彼女のことは何一つ知らなかった。
ただひとつの接点である彼女の祖母の家
そこは彼女が幼い頃過ごしていた場所だ。
どれだけ待っただろうか。
気が付くと僕は歩いていた。
彼女に、平気か? 元気だせよ そんなありふれた言葉ですら
掛けてやることが出来なかった。
何も出来ずにもと来た道を僕はただ歩いた。
今、目の前に同じ門がある。
心臓はずっと音を立てている。
膝から力が抜けそうになるのをぐっと堪えた。
つま先に力をいれ前へ踏み出した。
確かな予感があった。
遅刻と呼ぶには、いささか長すぎるけど
ようやく追いついた。
この門の先に彼女はいる。
「え?」
その時、私は自らの体に起こった変化に自分自身で驚き声を上げた。
涙が流れたのだ。
始めは右目から、続いて左目
熱い液体が頬を伝った。
「おい大丈夫か?」
彼が私の体の前後に揺らすので我に帰る事が出来た。
「あれ? どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ! 大丈夫か?」
「うん 大丈夫」
「涙ボロボロ流して、とても大丈夫って風じゃないが……」
「あはは そっか うん でも大丈夫 ほんとに大丈夫」
「そういうなら そうなんだろうけどさ」
彼は改めて私の隣に座った。
突然彼女が泣き出したので、びっくりしてしまった。
このびっくりは、2つの意味でだ
ひとつめは突然泣き始めたこと
もうひとつは涙を流していたこと
いろんなことを頭の中で駆け巡らせていると
彼女の方から声を掛けてきた。
「ねぇ 少し寄りかかってもいいかな?」
「どうぞ」
そう答えるのが精一杯だった。
「ありがと」
彼女は僕の右手の手首を両手で掴むともたれかかってきた。
「ねえ知ってる? 人は温かいんだよ?」
どういう意図でそんなことを言い出したのかは良くわからない。
でも彼女にとってぬくもりは生きていることを確認する何かなのだろう。
「そうだな 温かいな」
「うん」
僕からは彼女の表情は見えないが、笑みを浮かべているんだろうと思った。
「こうして耳を当てると聞こえるよ 生きている音……」
「頬をつけると感じるの。 生きている温もり」
彼女は言葉を続けた。
「あなたは、私の生きている証、感じる?」
「うん 感じるよ」
彼女の肌から、温もりが伝わってくる。
彼女が今ここにいる
それだけで、僕は幸せだった。
「私が生きてるって証、たくさんあなたに刻みたいな」
彼女は僕の腕に小さく爪を立てた。
「そんなことをしなくても、ずっと刻まれてるよ。僕の中にね」
「あらあら お上手なのね」
「からかうなって!」
彼女は、その後は何も言わず
僕にもたれ掛かるように頭を預け、そのまま時間が過ぎていった。
もう一度彼女の頬を涙が伝った。
その涙は月の光を浴びて白く輝いた。
とても素敵な小説ですね♪