Nicotto Town



飼っていたネコ

何度も同じような事を書いている気がする。
オイラの家に居た猫はオイラが中学二年生の時にやってきた。
おかあさんは真っ黒な和猫であったが、その子はどう見ても長毛種の血が入っている子だった。
19年生きた子でオイラと一緒に大きくなった猫である。
何度も同じような事を書いているが、その子以上のネコはこれからは出てこないであろう。

とはいえ、その後ウチでは猫は飼っていないのだけど。

オイラが高校生の頃はウチの猫が一番元気で力があった時だと思う。
その頃、一眼レフのカメラが欲しくてこずかいをはたいて購入した。
被写体にネコは丁度よかったので何枚も撮り収めた。
何枚もある写真の内、雄々しくポーズをとっている姿と近距離で撮った写真の二枚が遺影のように現在の家のリビングダイニングに飾ってある。

『この頃が一番元気だったね』
『向かう所敵なしだったなぁ・・・。どうもこのあたりのボス猫になってたみたい』

ふと写真をみると、そんな会話が家族の中で出てきてしまう。
パソコンも無い時代。
今だったら、動画をとっていたに違いない。

先日、従姉が息子二人と一緒にやってきた。
下の息子はまだ保育園なので、オイラを含めてウチの事など何も覚えていない。
当然である。
そんな保育園児が、リビングでケーキを食べながら猫の写真を見た。

『ネコ!』
『そうだねぇ~猫ちゃんだねぇ。昔、この家に居たんだよ』
と母親である従姉が答えた。
『知ってる!去年みた!』
『○○ちゃん(息子の名前)、憶えてるの?』

本当に覚えているのかは疑問だが、なにかしら印象に残っているのかもしれない。
記憶に残る猫であったが、写真になってもその影響力があるのだろうか。
動物だから子供でも覚えていたのだろうと言ってしまっては元も子も無いのだが、なんとなくそんな風に考えている自分がいた。

猫が天にのぼってから10年という月日が過ぎた。
今年もふと写真をみると猫の思い出話が食卓の上で広がるのだろう。




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2015/02/10 09:32
そんな出会いとお別れも人生において
大切なことだと思うの(*´ω`*)

きっと猫さんも しゅーさん家で育てられて
感謝してるんだと思うし しゅーさん家族も
癒されてたくさん思い出出来てるんだと思う^^
忘れることができない素敵な過去ですよね♪
それにしても19年は大往生ですよねぇ。

人は動物と過ごすことで優しさをもらえてると思う。
癒されると撫でたり抱っこしたり
優しくしてしまうでしょ。言葉がない分
動物さんとは触ることでしかコミュニケーション取れないから
人とは違って憎しみとかの感情が動物には抱かないし
それに動物もすり寄ってきたり一緒に寝てくれたり
ちゃんと応えてくれるしね(*´∀`*)

とてもいい経験だと思うし
もしアタシに子供がいたなら
きっと 動物を飼うと思うよ。
命の大事さとかわかると思うし(*´ω`*)

失礼しました^^
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2015/02/02 11:26
>記憶に残る猫であったが、写真になってもその影響力があるのだろうか。

うん、きっとそうなんだろうと思うよ。
飾られている猫の写真は、幼子の記憶にも残る写真だったんじゃないかな。
雄々しくポーズを決めている写真と至近距離から撮影した写真の二枚。
ふと目に入ると自然と家族の話題にのぼるというのも、いいね^^

私が実家で飼っていた犬(ごんた)も、そんな感じだよ。
ごんた以上の犬には出会えないって家族の誰もが思っている。
そして、ごんたが他界してから一度も犬は飼っていない。
実家のリビングに飾られている写真の彼は、前足にあごをのせて寛いでいる。
いまでも家族の間で話題にのぼるよ。
「ごんたは、強きを挫き弱きを助くような犬だったね」
「でも、普段は大人しかったよね」

そんなことを思い出させてくれる日記でした。
だから、今日は茶化さないでおくことにする。
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2015/01/31 00:05
(=´∇`=)にゃん




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