Nicotto Town



此れも知って居なければならない常識なので


此れも知って居なければならない常識なので
健康と言うよりも人としての知識として持ってなければならないことなので
「スーダンのダルフール」と同じ様に
日本のマスコミが報道しなかった世界の常識を書きます。

まず、見たほうが良いでしょう。
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今週末見るべき映画「消えた画 クメール・ルージュの真実」
http://ism.excite.co.jp/art/rid_E1404285036004/
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そして多くの人がとっくに見たと思いますが
見てない人はみましょうね。
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キリング・フィールド (映画)
『キリング・フィールド』(The Killing Fields)は、1984年制作の英国映画。
ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグ(Sydney Schanberg)の体験に基づく実話を映画化したもの。1984年のアカデミー賞において、助演男優賞・編集賞・撮影賞の3部門受賞。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
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日本ではカンボジアの虐殺は何と報道されたでしょうか?
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ポルポト派を”優しい”と表現した朝日新聞のトンデモ記事
http://blogs.yahoo.co.jp/torakyojin88/44342602.htmld
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◎わかりやすいところを探してみました。
写真が気持ち悪い人は見ないで下さい。

☆子供を兵士にして大人を殺させるのが中国のやり方です。
「スーダンのダルフール」でも其の手を使いました。
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1973年、ベトナム戦争は北ベトナムの勝利に終わり、 それに伴いアメリカ軍・南ベトナム民族解放戦線ともにカンボジアから撤退する。



ポルポトの原始共産主義は毛沢東思想に強い影響を受けていました。毛沢東思想ってのは文字通り、中国の毛沢東がマルクス主義を中国流にアレンジしたものです。


とまぁ、このように遡れども遡れども人間の世に階級・格差というものは存在していますねw 本当に格差・階級が存在しないのは、まだ人間が狩猟・採集をしていた頃です。もう何となく分かってきました??そう、ポルポトはこの人間が狩猟採集していた時代を理想の社会だと考えて、現代の世に原始時代を再現しようとしていたのです。


さあ・・・こっからはポルポト政権の統治がどの様なものだったのかを説明いたします・・・。うん、そうなんだ・・・酷い話なんだ・・・。

ポルポトは国内から知識人層を根絶することを目指します。なんでそんなことするのかって??原始時代に知識人いました??いないでしょう、知識は人々の間に格差をもたらすと毛沢東思想では考えられていまして、影響を受けたポルポトも「国を指導する我々以外の知識人層は自国には不要」と考えたわけです。

農作業に従事している人に布告が出されます。「医者・教師・技術者・学生だった者は名乗り出てほしい。国の再興には君たちの力が必要だ」とこんな感じの布告でした。当然、該当する人は名乗り出るわけです。「これで辛い農作業から解放される」 わけですから、これらの人々は拍手の中、みんなに見送られます。しかし、彼らの中に帰ってくる人は一人もいませんでした。彼らには「再教育」という名の処刑が待っていたのです(ToT)/~~~

 この知識人狩りは次第にエスカレートしていくことになります。以下は当時、本当にあった事例です。

「本を読んでる」←文字が読めるなんて知識人だから殺す(^_^メ)
「海外行ったことある」←海外行くなんて知識人だから殺す(^_^メ)
「ラジオを聴く」←ラジオを持ってるなんて知識人に違いない殺す(^_^メ)
「旧貨幣を持っている」←反体制派だから殺す(^_^メ)

ここまではまだ良い方です・・・。

「子どもに教育した」
「腕時計をしている」
「恋人がいる」

果ては・・・

「眼鏡をしている」←眼鏡をしているなんて(略)(^_^メ)


全部、本当にあった話です。信じられませんね(@_@;) 私も当時のカンボジアにいたら何回殺されてるか分からんですよw


さらにポルポトは子どもを積極的に社会的な役割に着かせます。兵士も13歳以下の子どもが採用されました。その理由は「悪質な」思想に染まっていないから、原始共産主義を良く「理解」するからとのことです。他にも強制収容所の看守も子どもでした。子どもが大人を監視する社会が生まれていたのです。ちなみに強制収容所に入れられた「知識人」たちは漏れなく殺されましたが、中にはイソップ物語を話すことが出来たおかげで少年看守たちに匿われ、生き延びることができた人もいました。まさか、イソップ物語が自分の命を救うとは夢にも思わなかったでしょう(-。-)y-゜゜゜

このように重要な仕事に子どもが着いたわけですが、最も悲惨だったことは医者まで子どもだったということです。このような子供医者は数カ月のにわか仕込みの医療教育を受けただけで、ろくな医療知識も持っていませんでした。そんな子供医者が治療するもんですから、結果は皆さんの予想通りです。子供医者がろくな消毒もせずに注射した傷口は膿み、それが原因で死亡する人が続出。さらに子供医者は手術まで行います。あれ??それって最早、手術じゃなくて解剖じゃね??


ポルポトは更に密告制度を導入します。反体制派・知識人などを見つけたら密告しろってことです。密告された人は問答無用で処刑です。これにより、人々は疑心暗鬼になり、誰も信用できなくなります。かつての友人が友人を密告し、親が子供を密告し、子供が親を密告し、兄弟・夫婦構わず密告するようになります。密告しなきゃ、自分が密告されてしまうという強迫概念に支配されるわけです。

正に悪夢です。誰も信用できずに、いつ自分が殺されるかも分からない。しかも日々、少ない食事で重労働させられる・・・。以下はポルポトの指令書です。

「我々は独自の世界を建設している。新しい理想郷を建設するのである。したがって伝統的な形をとる学校も、病院も要らない。貨幣も要らない。

たとえ親であっても社会の毒と思えば微笑んで殺せ。今住んでいるのは新しい故郷なのである。我々はこれより過去を切り捨てる。

泣いてはいけない。泣くのは今の生活を嫌がっているからだ。


このようなポルポト政権下の大虐殺による被害者数は正確には分かってませんが、200万人にも迫ると言われています。



1978年、ポルポトはベトナム領内に軍を派遣し、住民を虐殺します。



ポルポトは正にカンボジア人にとっては悪夢そのものでした。だってあれですよ、ポルポトから解放された時の人口比がおかしいですもんwなんと国民の85%が14歳以下でした!!

http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n87481
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