表現の自由のダブルスタンダード
- カテゴリ:ニュース
- 2015/01/14 21:59:17
仏風刺芸人、検察当局が捜査対象に=「俺はクリバリ」とネットに書き込み
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201501/2015011300051
先日、フランス・パリで起きた週刊紙襲撃テロ事件をうけ、表現の自由を擁護する大規模なデモが行われたが、そのフランスで例のテロ犯を肯定する発言をすると逮捕される自体になっているらしい。
何というか都合のいい表現の自由ですね。
そもそも、表現の自由のためのデモだったはずがいつの間にか反テロのデモになり、なぜかデモの最前列に欧米各国の首相らが腕を組み一列に並ぶ事態に(撮影用のフェイクだったらしい)。
欧米の表現の自由とは、イスラムを批判するのは表現の自由だが、ユダヤを批判すると差別になったりと、白人の言う表現の自由は白人たちに都合のいい表現の自由だったりする。
日本でも、マスコミによると日本国内での反日デモや在日米軍に対しての抗議運動は表現の自由で、在日朝鮮・韓国人に対しての抗議運動はヘイトスピーチになる。
ホント、都合のいい表現の自由だ。
本来、表現の自由はすべてのことに適用されるべきだ。
だが現実はそうならない。
白人やユダヤ人といった世界を動かしている連中を相手に表現の自由を行使すると差別だと言って潰される。
日本国内で放送されたCMでさえ、芸人が鼻を高くして白人のふりをしただけで差別だと言って放送が中止されたこともある。
日本でもマスコミ・広告代理店に都合の悪いことは差別になる。
誰もが表現の自由は必要だと思っているだろうけど、それで自分が攻撃を受けると態度を豹変する。
元朝日新聞記者植村隆氏のように、自分は表現の自由や言論の自由を振りかざしていたのに、いざ捏造だと分かり反論や批判を受けたら批判した人たちを法律で訴えるとか、彼に表現の自由や言論の自由を行使する権利はないと思う。
自分が気に入らないことにだけに表現の自由を適用していたら、それこそ左翼が嫌うナチスそのものだ。
表現の自由や言論の自由を行使する場合、反論という表現の自由を受ける覚悟が必要なのだ。
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( ~ )<何がいい表現なのかどうかは人によって違うのだから制限を受けるべきじゃないケロ
( m m )