海外の人に福袋が人気だそうです。
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- 2015/01/10 22:29:38
海外の人に福袋が人気だそうです。
円安の為なのでしょうか、
イスラム圏からの海外旅行者も多数日本に来るようで
その方達が一番困るのが所謂外食だそうです。
其の人達によって食べては行けない物が多いので。
全てのイスラム教徒の人達がそうでは無い様ですが、
中東の人達は少数の其れに対応した店にしか
行けないとの事。
現実は私の見た限り厳密に守っている人とそうでない人がいるようです。
割と臨機応変な様です。
更にイスラム教と言っても他宗教の人を見つけたら殺して良いなどと
言う教えは無いそうで、旧ヘブライ語からギリシャ語に書き写されて
更に書き写されている間に変化した内容もあることが
既にちゃんと解明されて、他宗教を異常に排斥する様な教えは
どこにも書いて無いそうです。
同じ旧ユダヤ教が元になって出来たとされる宗教のどれも
そんな教えはありません。
其の地方、其の環境によってより近い形に変化させて行っているのが解ります。
今のアイヌは自称アイヌと言えばアイヌになれるという偽物ですが。
(アイヌは宗教ではありません。よって自称アイヌと言えばアイヌになれる訳が無い。)
イヨマンテは熊を神に捧げます。
生きた熊を殺して神に捧げて其の後にみんなで食べます。
羊のいるところでは羊なのでしょう。
本州では猪の所も地域であります。
蛙の所もあるでしょう。
猪や羊は儀式の為に殺して良くて、何で蛙がダメなのでしょう?
食用蛙もあるのに。
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諏訪大社カエル串刺し神事に抗議 動物愛護団体「許すことのできない残虐行為」
http://www.j-cast.com/2015/01/05224563.html?p=all
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ヤマメの串刺しにして焚き火で炙って食べるのは残虐ではないのでしょうか?
牛の一頭丸焼きにして大きなイベントでみんなで食べるのは残虐では
ないのでしょうか?
豚はどうなのでしょう?
そして動物愛護団体の主張でひどい目に在っているのが森の小動物です。
増えすぎた鹿が木の皮も目も食べて其の木は死んでしまいます。
すると木の墓場が永遠とできるわけです。
森の中にそう言う場所ができるわけです。
すると小動物が死んでしまいます。
熊は森から出てきます。
小動物を食べていた狐も飢え死にか街に出てきて
ゴミあさりを始めます。
自然体系を壊したのは動物愛護団体です。
定期性な数に現実的に人間が管理をすべきなのです。
殺処分は必要です。どう管理するかは研究して見つけ出すべきでしょう。
低レベルの幼稚園児並の発想で現実逃避をされては
動植物にとっても迷惑です。
同じ様に北海道の森の一部を蛍が住んでいて貴重な自然が残っているので
其処の開発を阻止する運動が数十年前にありました。
其の区間は多くの人がお金を出し合って購入して森は残されました。
問題はその後です。
森の適正管理をしなかったのです。
詰り「おじいさんは柴刈りに・・・・」と言う様な柴刈りをしなかったのです。
森は鬱蒼と茂った葉っぱで陽が適度にあたらなくなりました。
森は窒息状態になったのです。
小動物さえ住めなくなったのです。
朽ち果てて腐った木が溜まり其の上に鬱蒼とした葉が多いかぶさって
匂いも発して居ました。
其の地方地域の人から何とかする様にと誰もが多少の適度な人が
入って人工的な簡単な管理が必要な事は本当に自然を
知っている人には理解できることです。
何が蛍がいるでしょうか?
そんな沼はとっくに朽ちた葉っぱで覆い尽くされて
なくなっています。
其処で大勢の地権者の連絡の取れるところに責任を取らせようとしましたが
何と彼らは其れを拒否したのです。
全員と連絡をとれず不公平?本人が死んでいない?
兎に角連絡の取れた地権者は其の地区でやるべきとの
身勝手な言い分。
詰り其の地方の人達の税金で森を管理すべきとの居直りです。
責任が取れないのなら其の地方のする事に最初から口を出すべきじゃない!
自然を知らない幼稚園児並の綺麗事を平然と言っていた
あの連中にちゃんと其の後に管理にかかった費用は
法律で分担させるべきです。
蛍のいる沼のある自然を守りたかったのなら
責任を持って其の状態を保つべく管理をすべきだったのです。
庭のある家は程よく枝を切って日の光を程よく入れないと
庭が死んで草花が育たないことは常識として解るでしょう。
森も其の応用の範囲で想像がつくはずです。
昔は木こりが居ました。
柴も刈りました。
程よく自然を管理しないと狼が居て
鹿を間引きしてくれていた時代では無いのです。
狐も狼も程よく通り道を作る時代では現実に無いのです。
狼がいない分、人が其れに変わらないと行けないのです。
余りに低レベルの綺麗事は迷惑なので辞めて欲しい。
小学生じゃないでしょう。
其れと自分は生き物は一切食べないわけじゃあるまいし、
肉屋と魚屋を全てなくす運動をしてから
蛙の儀式に口を出すべきです。
非常識と言うかザリガニ取りも昆虫採集も最初になくす運動をすべきでしょう。
魚釣り等は釣具店に閉店するように最初に身近な所から
行動をすべきだと思いますよ。
余り自分の行動が矛盾している事すら理解できないよな
低レベルな発想でみんなに迷惑をかけるもんではない!
小学校の高学年の学級会で話合った方が
もっとマシな発言が出そうな気がする。
詰り其れ以下の知能だと思うよ。
鹿害は北海道の沢山の自然を破壊しました。
例えば24年度の鹿害は63億円だって。一年で此れだけかかるけど、
過去からの積み重ねを考えると目で見る酷い現実に胸が痛む山がずっと続く場所もある。
死んだ山がどこまでも続いてどうしてこんな状況にしたのかと動物愛護団体が
責任を取って修復させないと此の人達は反省をしないと怒りがこみ上げて来た。
例えば、無責任に捨てられた犬や猫の殺処分を減らすために何かをやっているのなら
解るの。
それと、鹿に罪はないと言って適正な数に減らす役目も果たしていた猟銃でゲームの様に殺す事を
凄く避難して規制をされる様になった。
そして鹿が物凄く増えてし待って、森を鹿が殺して行った。
森に食べ物がないと畑に入ってきて、其の害が何十億円。
死んだ森の害は計算に入ってない。
動物愛護団体の余りの身勝手さに許せないと思う。
私はちゃんと彼らに責任を取らせるべきだと思う。
そうしないときちんと先を見たちゃんと先を研究して現実と現状と今後もリサーチした上での
発言をしないと思う。
「綺麗事」を言うだけの無責任な発言は責任を取らせることによって
それではいけないのだと言う事を教えないければならないと思う。
なぜなら、自分達の発言で鹿猟が規制されて、鹿害が起きたのだから。
彼らの小学生低学年並の思考と発言は厳しく其の責任を負わなければならないと言う
事を教えて行くべきであると思う。
畜産農家は本当に可愛がって豚を大切に子供も手伝って育てて
肉にする為に出荷する。
大きな畜産農家なら別かも知れないが、小さい畑兼、畜産農家だと数頭を育てる。
子供だって餌を上げて畜舎を掃除したりと、同じだよ。
でも、子供時代からちゃんと現実を受け入れている。
牛も豚も鶏も。
ちゃんと大人は大人になって行か無いと行けない。
社会的適合者と言えない発言をする。
歴史も現実も考える知能が無いし、知識も狭い所で止まっている。
彼らには厳しい処罰を与える事で教えると言う事が必要だと思う。
「人間vsクマ」をやろうとしたら
動物愛護団体の横槍で中止になったことがありました ^^;
アメリカには「レスリング・ベア」という調教された熊がいて
教えられたように人とじゃれると
あとでおいしいエサをもらえるという
まぁ猿使いの猿みたいなもんなんですけどねぇ
このカエルの話も、注目を浴びる為にやってるとしかw
でもそれで何の得になるのか、いまだに謎