拉致被害者の家族の事を考えると
- カテゴリ:家庭
- 2014/11/01 10:30:39
拉致被害者の事を考えると北朝鮮も拉致実行犯の赤軍派も
そして拉致実行犯を韓国が捕まえた時に無罪にする様に
嘆願書を出した議員たちも許せません。
拉致は無いと言っていた議員たちも許せません。
拉致被害者が返ってきてないのにどうして制裁を解いたのですか!?
何故先に制裁を解いたのですか!
未だに返して来ないでしょう。どうして制裁を倍にして今しないのですか!
何故朝鮮総連ビルを日本の法を曲げたまま、未だに使わせているのですか!
それなら、国会が停滞しているのなら、閣議決定で良いので
総連のビルを押収すべきでしょう。
何故拉致の実行犯の赤軍派の家族を全員を調べ上げないのですか?
何が知っているかもしれないでしょう。
拉致被害者が返ってこないのにどうして彼らが日本にいるのかと
どうしても、どうしても納得が出来ません。
テレビ画面で雪のニュースを見るのに未だに拉致被害者が一人も
返っていない現実が辛いです。
国会は何をしているのか!民主党議員は日本国民の心を此処まで
踏みにじっている北朝鮮に対して何故日本国民と同じ立場に立たないのか!
重要な案件があるのにマスコミも何故国民の側に経っての
発言ができないのか!
どうして北朝鮮が日本を騙した事を報道しないのか!
あの捏造記事を書いた朝日新聞の記者を採用した北星学園が
次の採用をやめるらしい。
脅迫した犯人が捕まった。やった事は悪いことだと思う。
だが、彼の思いは私の思いと同じだと彼の言っている事に共鳴する部分が
ある事を日本人として認める。
日本人としてあの朝日新聞の記者を許すことはできない。
そして其の男を受け入れる大学がある事が信じられない。
其処に通っている生徒がいる事も日本人として何を考えているのかと思う。
彼のした事をどう思っているのかと思う。
既に大学生になったのなら、
其の事に対しての意見を日本人としてどう取られているのかと、更に海外で未だに彼の書いた記事によって
日本がどれだけ貶めてられているのかを
既に知って無ければならない。
其の事についての日本人としてのそしてそんな大学に通っている生徒として自分を見つめるべきだと思う。
ニュースでは解説は職員の中にはテロに屈するのかと言う意見が出たと言う。
しかし日本を此れだけ貶めた人間を雇った事への批判的な発言発言、反省はニュースの解説を見る限り、
脅迫状を送った犯人への批判はあっても日本への謝罪の言葉は学園長からの発言でも無かった。
ニュースの解説でも其の男を雇った北星学園が日本国民に対しての謝罪の意思がないことへの批判の一言も無い。
私は脅迫文を送った犯人よりも北星学園の学長始め、そニュースの解説の方が日本人として許せないと思った。
犯罪は確かに犯罪だ。法を犯したのは確かにそうだ。
だったら、何故捏造記事を書いて日本を此処まで貶めた
犯人の男を罰しないのか!そんな法律が無い国の方が
可笑しいと思わないのか!
未だに「スパイ防止法」が無い国の方が間違っていると思わないのか!
脅迫文を送った犯人への憎しみの心は私の中に微塵もない。
寧ろ日本を貶めた捏造記事を書いた男を法で罰せない此の国への批判の心とそんな男を雇う大学への批判の心の方が
遥かに大きくある。
私は戦後日本が議会で社会党も含む与野党議員一致でA級戦犯をふくむ「 戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議 」 が与野党一致で可決した。
あれが日本人全ての本音を汲み取り自ら表した日本人としての議員の姿だったと思う。
そう言うことですよ。本当はそう言うことなのです。
祖母は日本人は一生に一度は伊勢神社と靖国神社に参拝に行かなければならない、と言っていた。
そう言うことなのです。
伊勢神社にも靖国神社にも行く意味が日本人にはあるのです。
此れが日本の歴史です。
北海道民の日本人にはそれなりに心に傷を負った「家」があります。
徳川方に付いた。歴史の天皇家の選択で天皇側になれなかった。
少なくとも京都を守っていたつもりでも。
あくまでも徳川側は将軍家であり、天皇に使える身の方だったはず。
賊軍として負け、屯田兵として北海道に「北の零年」の映画の様に徳川側だった武士の家が
北海道開拓の命令を受けて土地を与えられて開拓使史として送り込まれた。
だからこそ、第2次大戦の時は多くの若者が志願して軍隊に入った。
「靖国神社」にはいる意味の大きさが解っていたからこそ、
多くの若者が北海道から志願をしていった。
此の気持ちが解りますか!
だからこそ、「靖国」に参拝する意味は大きいのです。
それと伊勢神社にも行く意味は大きいのです。
今は日本人が一丸となって日本を取り戻す時だと思っています。
そして日本にダニのように住み着いている奴は日本から出すべきです。
此れも日本人が一丸となって追い出すべきです。
問題の本質は、日本の戦後体制にあるということです。
日本国を守るのは日本人であらねばなりません。
外国人に委ねる憲法は、独立国の憲法として不適格です。
そもそも、日本人の本質は何か。
日本とか、どのような国柄の国なのか。
そのことを先人が紡いできた歴史の中から見出さねばなりません。
そのことを踏まえたものが成文としての法、憲法であるはずです。
自国民を守れないような憲法が憲法であるはずがないのです。
守れ、守れと言う(要求する)だけでは、何も守れません。
このままでは、戦後70年、戦後体制の中で肥大した個人主義(エゴ)に国が潰されます。
まるで、ぬるま湯に浸かっていたら釜ゆでになったようにね。
言う(要求する)は簡単です。
実現するためには相応の覚悟(義務)が必要です。
その先に独立国への道に繋がると考えています。
不法入国者は送還せねばなりません。
在日特権は許してはなりません。
そんな当たり前のことが当たり前の国にせねばなりません。
>何故拉致被害者を返す前に制裁を解いたのか!
何故朝鮮総連ビルを今だに使わせているのかと言う事です。
調べればわかることです。
お調べになって下さい。そして、直接、意義を唱えて下さい。
そして、闘える議員を育てて(応援して)下さい。
それが、遠いようで一番確実な道です。
問題の本質は何でしょう。
日本国民であり、日本です。
憲法が主役ではありません。
憲法を守ることがだいじなのですか?日本国民、日本を守る事が大事なのですか?
日本国民を守れない憲法を何故我々は守らなければならないのでしょうか?
柔軟もへったくれもありません。
どうでも良い理屈を並べる必要はありません。
主権は日本と言う其のものズバリ一括りした中にあります。
日本国民、日本の領土、日本そのものを守れと言う事です。
小難しい理屈をこねる必要もありません。
どんな名前でもどんな形でもそうでなければならないのです。
極論を言えば日本国民のために総てが存在すべしと言うエゴで出発しても良いのです。
綺麗事、理想で日本を守れないのですから。
そんなものくそくらえです。
ゴタゴタ言ってないで凡ゆる手段を用いて日本国民を守るべきです。
例え場、
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永住外国人の受給世帯増加 自治体を圧迫
外国人の生活保護受給世帯は年々増加しており、地方自治体の財政を圧迫する一因ともなっている。
生活保護法をめぐっては最高裁が7月、「法の適用対象に永住外国人は含まれない」として、永住外国人は生活保護法に基づく保護の対象ではない-との初判断を示した。しかし、実際には、人道的観点から外国人への同法の準用を認めた昭和29年の旧厚生省通知に基づき、各自治体が永住外国人や難民認定された外国人に対して生活保護を支給しているのが実情だ。矛盾した運用が行われている背景には、もともとこの通知自体にあいまいさが内包されていることがある。
中略
国籍別(23年7月時点)では、韓国・朝鮮人が約2万8700世帯と最も多く、フィリピン(約4900世帯)、中国(約4400世帯)、ブラジル(約1500世帯)と続く。
http://www.sankei.com/west/news/141030/wst1410300098-n1.html
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(⁰︻⁰) ☝いい迷惑だ!此の国から出て行ってくれ!
其の為に財政難で、35人学級から40人にすると言う議論の前に
不法入国者を出せば良い。
在日の特権をなくせば良い。
何故拉致被害者を返す前に制裁を解いたのか!
何故朝鮮総連ビルを今だに使わせているのかと言う事です。
今日、(大阪)市役所の前を通りかかったら、反自民、反安倍の垂れ幕を持った年配のグループが居ました。
「命より金の安倍総理」 「憲法違反の安倍総理は辞任を」 という垂れ幕でした。
占領(時代の)憲法(占領統治法)を護っていては国は滅びます。
占領統治法では、スパイ防止法など制定出来たとしてもザルです。
(国益より個人の利益だから、憲法違反をタテに人権侵害だと訴える。それが「国民主権」です)
占領統治法では、拉致被害者を取り戻すことは困難です。
(前文から)「諸国民(北朝鮮も含みます)の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」 からです。
取り返す努力ではなく、戻してくれることを(北朝鮮政府の公正と信義を信じて)願うしかない立場。
それが我が国の憲法上の立場です。
日本国憲法は、憲法とお尻に付けていますが、独立国の憲法としてはそぐわないものです。
そのことを、「国民主権」 から考えねば(奪回へと)前に進むことは出来ないと考えています。
主権は国民にあるのではなく、国体(国柄)にあるということ。
政体と国体は分けて考えねばならないこと。
このことを国民の一人一人が自覚しないと、
日本国憲法の改正などという国体(国柄)の破壊にまで至ってしまいます。
日本国憲法は占領統治法であって、独立を果たした国家の憲法には相応しくありません。
(そもそも、占領下で占領軍主導で制定公布施行された法です)
ボタンの掛け違いと同じで、
どれほど巧妙につじつま合わせをやっても、本来の形とはそぐわないものです。
本来の形を国体(国柄)といいます。
ボタンの掛け違いを正すには、新たなボタン穴を作っても、布のつぎはぎをしてもいけません。
それでは、歪な形、異形なもの(国家)が出来上がるだけです。
(だから、日本国憲法は改正してはならないのです)
ボタンの掛け違いを正すには、一度、ボタンを外さねばなりません。
我々には、日本人には、柔軟な心と適応能力があります。
(だからこそ、日本国憲法さえ自国の憲法として大事に出来たのですから)
あとは、ボタンを外す勇気。ボタンの掛け違いであると気づく勇気。
別に世界は変わりません。出産と同じ。案ずるより産むが易しです。
マスコミが報道しないことこそ、国民は知るべきです。