嫌いにしてちゃ元も子もない
- カテゴリ:勉強
- 2009/09/02 01:06:23
元気なよい子たちの夏休みも終わる頃だけど。
その、夏休みの宿題で印象に残ったものについて書くように、ってことですが。
夏休みの宿題、やたら量があったというのと、手こずったということ以外、ぼんやりとしか記憶がない。
はるかな昔だからというのもあるけれど、それ以上に、嫌なことは速やかに記憶から消去したとおぼしい。
どんだけ宿題に苦労してたんだよ。
ただ、夏休みにつきものの読書感想文については、ちと思うところがある。
自分が単に書くだけなら、さほど苦労はないのだけど、ね。
書くだけなら。
規定量文字を繋げるだけなら、たいして難しくない。
でも、好きな本、心を動かされた物語について書くなら、けっこうな仕事だと思う。
文章を書くことを覚えて間もない小坊・中坊なら特に。
今でも、納得いくように書くのはかなりしんどい。
(正直に白状すれば、時々討ち死に気味の文章をあげてます。ごめんなさい)
好きな物語について、強要されて仕方なく書き、それが心情を思うように表現できなければ、文章を書くこと自体嫌になる。
書く側だけに限らない。
無理に本を読ませるのもどうかと思う。
本を読むのなぞ、基本娯楽だ。
それだけじゃない場合もあるけど、娯楽の部分、楽しいと思うところがなければ、莫迦ばかしい、子どもは読みやしない。
それを、本人が望んでもないのに読むことを強要し、『嫌なこと・面倒なこと』だとすり込むのは如何なものか。
溜息つきつつ、かなり長期間、毎年課題図書をざらっとは読んでいた。
失礼ながら、読書感想文コンクールの課題図書になる本は、『いかにも』なものが多くて、その上規定年齢より下の年齢層向けのきらいがある。
読み手が慣れておらず引きつけるモノが多くなければいけないだろう、低学年向けの課題図書がまるで面白くなかった記憶がある。
(個人的には、設定対象年齢高校以上の課題図書にしか、面白いと感じるものがなかったような……)
宿題なりの機会でもないと、本を読まない人がいる、というのもわかる。
わかるけど、本を読むのを、『つまらないこと、嫌なこと』とすり込むくらいなら、放置した方がまだ、読書と縁遠くならずに済む。
読むことが『嫌なこと』でなければ、話題になっている本くらい、いつか手に取ることもあるかもしれないのだから。
大体、小中学校で求められる読書感想文は、『読者が本を読んだ感想』ではない。
登場人物の行動に感動し、褒めたたえ、自分にはできない、とへりくだる文が望まれる。
冷静な突っ込みや、正面切った批評、とにかく先生に喜ばれないような文章は評価されずらい。
提出した感想文、いじりまわされて訂正させられ、コンクールに出されて嬉しい訳がない。
いや、莫迦らしくってやってられないよ? 本当に。
高校の頃、図書委員会の担当教師の意向で、月二冊の本を読んで感想を提出すべし、という課題が出されたことがある。
提出日になると、クラスの半分以上が人の感想を写してまわっていた。
本を嫌う人、読書に対する罵言、多数。
うんざりして実態をぶちまけ、中止を提案した(当時、図書委員だった)。
継続するか否か、先生は自信満々で図書委員の決を採ったが、中止に全員が手をあげた。
するとその先生、十分ほどか? 本を読んで感想を書く必要について延々と語りまくった。
その後、再度採決。みんなシラケタ顔で続ける方に手をあげた。
意図の意見を容れる気がないなら、最初から決なんか採らなきゃいいのにw
その先生、自分のクラスの感想の代表で、『エイリアン通り』と『サイファ』(成田美名子の人気絶頂でした)をあげてる人がいても気付かなかった。
相手をある程度知っていて、ちゃんと相手に興味を払い、反応も見て、あとのフォローまでする気がないなら、その気がない人への読書指導なんて出来るわけがない。
同好の士で盛りあがってるのとはワケが違うと思うのだが。
無責任に『読むこと・書くこと』の課題を放るだけの読書感想文って、その場をしのいで『読むこと・書くこと』にはもう関わるもんか、と心に決める人間を量産してるだけだろう。
読むことを根付かせたいなら、その楽しさを伝えることだ。
そのためにはきめ細やかな対応が必要になる。
押しつけるだけじゃ逆効果でしょ、まるっきり。
夏休み、子供遊びまくり時間ありまくり→だから本読んで報告しろ、ってことですもんね。
会社のダメな上司と同じ発想ですよね、それ。
報告書を書くことは大事かもしれないけど、(かもじゃなくって本当に大事ですけど)
報告書を書くことそのものが目的じゃないよね?
ってことで。
ところで、これは蛇足というか余談なのですが、
私は読書感想文の提出を求められたことはあっても、その課題となる図書を限定されたことはありませんでした。
なので、必ず自分で好きな本を選んで書いていました。
私は江戸時代の落語とか、そんなの読んでは観想書いていました。
これは地域とか地方とか学校の教育方針とかで変わってくるのかなと思うのでなんともいえませんが、
アレの題材を強制されたら、そりゃ敵わないなあって思います・・・
なんというか、二重三重に気の毒です。
えー、文章を書く教育が必須、ってのは同意、むしろもっと力を入れるべきだと考えています。
で、教育というのは多かれ少なかれ強制される部分もあるわけで。
実際必要な部分だと思うんです、それ自体は。
ただやり方がマズすぎる。
感想文のメインになる「感じたこと・思うこと」は具体的な人の行動・起きた事象に比べて文章にするのが難しい。
抽象的なものごとは、言葉というツールを使って、それこそ文章で理論立てて考えなきゃならない。
そんな難易度が高いことを、「文章を書く」ということを始めたばかりの小学校低学年に「長期休暇の宿題」というフォローしづらい形で丸投げにしちゃマズイだろう、と思います。
一般的なものごとについての作文を、「わかりやすく書くとはどういうことか」ちゃんと教えるべきじゃないか、と。
正直英語教育を早く始めるなんてことより、よほど必要なことだと思っています。
でもって「あらまほしき子どもの反応」を期待する教師の姿勢もまた、感想文(さらには文章を書くことを)嫌いにするのに荷担していると思います。
あと、昔は乱読傾向にあったので、課題図書は毎年かなりの数読んでました。
あれほど当たり率の低い書籍群はなかった気がします。
今は改善されているのならいいのですが……
山鳥さん
いえその先生は「漫画不可」だと宣言していたので。
教え子たちの世代が好きな物・人気がある物に興味くらい持っててもいい、多少の知識くらい持っていないと読書指導なんか絶対無理だと思うんですけどね〜
感想の代表はクラスの図書委員が選定するのですが、そのクラスでは文章の量で選んでいたようです。
コミックの感想文、素晴らしいのもありますよね。
ネット上なんかで時々ジーンとしたりします。
ながつきさん
「読むこと」「書くこと」についてあまり考えずにとりあえず宿題にしてるんじゃないかなぁ、と思ったり。
母語っていうのは考える基にもなる重要なものです。
なのに、何故か拒絶反応が起きやすい、嫌いになりやすいやり方ばかり選んでるようもに見えます。
どうにかできないものですかね〜
私のところも、読書感想文は、大前提として、批評や反対意見や疑問はNGでしたね。
なんていうか、宿題を出す先生たちも、どうしたらいいのかわかっていなかったような気がします。
それはそれで、意義のあることだと思うのですが・・・
ここで語られている読書感想は、
先生が感想を読んで選んだというわけではないのですよね
私の友は、「愛と誠」の読書感想文で、先生を感動させたことがありましたよ
もちろんそれを否定するわけではなくて、ですね・・・
でも私が思うに、それは、
「すかさはさんのお会いした教師がダメだった」
ってことなのではないでしょうか。
そして、「選択された課題図書がこれまたダメだった」、と。
ダメな教師が文章を書くことを強要したのがダメなんであって、面白くもない図書を課題にされるのがダメなのであって・・・・
文書を書くことを強制させる、もうちょっとソフトな言い方をすれば、文書を書くトレーニングをするということ、イヤでもつらくても課題として文章を書く、ということそのものがダメなのかどうかとはちょっと違うんじゃないかなとおもったりおもわなかったりするわけです。
文書を書くことは、俺はとても重要なことだと思います。
なので、例え世の中の人間の99.9999%の人が、メープルリーフ金貨の純度くらいの人がですね、文章を書くことを生業としなくても、それでも99.9999%の人も、文書を書くことは他人に強制されてでも、なるべくやったほうがよいと思います。
(そう考える理由は省略しますが・・・)
課題図書の読書と作文は勉強の一環であり、勉強というのは「勉」めて「強」いること、面白くてたまらないからついついやってしまうこととはちょっと違うことなので、退屈なことも無意味なことも、それが勉強なら押し付けられることもあるんじゃなかろうかと、そう思わなくもないわけです。
・・・・ただ、件の教員はあまりにもダメすぎて、その生徒だった方たちには同情を禁じえません。
その教員がせめてもうちょっとまともだったら、すかさはさんの読書嫌いなご学友も読書好きになれたかもしれないのになあと思うと、改めて教員は生徒の人生を左右しかねない大変な職業なのだなと思ったり思わなかったりです。
ま、学校の教員を筆頭にした「先生」なんて呼ばれる職業は、たいていダメ人間だったりするわけで、そういうことは大人になれば良くわかっちゃったりするあたりが、人生悲しくもあり、面白くもあるよなー、
なあんて言ったら、世間の「先生」たちに怒られちゃいますかねぇ。